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静大浜医統合再編の何が問題なのか

 

  1. はじめに
  2. 問題点の整理
  3. 問題の背景
  4. おわりに

 1.はじめに

 2019年3月29日、静岡大学(以下静大)と浜松医科大学(以下浜医大)は運営法人の統合と大学再編に合意した。

内容としては、2021年度をめどに「静岡国立大学機構」を設置すること、静大浜松キャンパスと浜医大による浜松市の大学、静大静岡キャンパスを中心とした静岡市の大学とに再編し22年度からの入学者受け入れを目指す、というものである。

目的としては、新たな研究・教育分野の開拓と人材育成、経営資源の効率的運営などを掲げている。

 しかしながら、静大静岡キャンパスにおいては教員や学生・卒業生有志による反対が根強い。

石井学長が唱える現行案に反対する教職員らの請願書によると、法人統合によるメリットやデメリットの適切な根拠が示されていないことや、石井学長と他の教職員らとのコミュニケーション不足などが反対理由として挙げられている。

また、再編後の静岡地区のビジョンが見えにくいことや、ブランド力低下への懸念、拙速な進め方に対する疑問といった声も少なくはない。

 ツイッターなどSNSを中心に「#静大浜医統合再編反対」タグのついたツイートがなされたほか各種メディアでも報道され、静大生や静大教員のみならず全国的に話題にはなっているものの、何が起こっているのかわからないという人もいるだろう。

今回は、この問題について問題の所在とその背景について言及しながら、まとめていきたいと思う。

 

 2.問題点の整理

 静大と浜医大は2019年3月30日に法人統合と大学再編に合意した。

現在は「国立大学法人浜松医科大学」と「国立大学法人静岡大学」がそれぞれ存在しており、前者は浜医大、後者は静大の静岡・浜松両キャンパスを運営している。

合意が締結された計画では、これら二つの法人を「静岡国立大学機構」という一つの法人へと統合し、静大浜松キャンパスと静大静岡キャンパスとを分離させ、静大浜松キャンパスと浜医大との新大学、静大静岡キャンパス中心の新大学という二つの大学を一つの大学法人のなかで運営することとされている。

これは、一法人で複数の大学を運営できるようにする「アンブレラ方式」で、名古屋大学岐阜大学との間でも18年末に新法人設立の合意がなされた。

両大学を維持したまま法人統合しない理由について石井学長は、「静岡と浜松とで独立的に運営したいという意見があった」とし浜医大今野学長は「多くの医科単科大学が総合大学の医学部になったが成功しているとはいえない」としている。*1

 それでは一体何が問題なのか。大きく分けて二つあると考えられる。一つはその内容について、もう一つは決定プロセスに係る問題である。

 

①再編後の静大のビジョンについての不透明性

 先述の通り、再編後は静大静岡キャンパスと浜松キャンパスが分裂し「別の大学」になることとなる。

名称などは現段階で決定していないが、少なくとも大学が変わるのだから現在の浜松キャンパスにおいては変更がなされることにはなるだろう。

静大の歴史は70年にも及ぶ。静岡高等学校、静岡第一師範学校、静岡第二師範学校、静岡青年師範学校、浜松工業専門学校という5つの学校が戦後の学制改革に基づき統合され1949年に創設されたのが「静岡大学」である。

静岡と浜松という地域的な違いや、それまで歩んできたそれぞれの歴史の違いを乗り越え、この70年間で地域だけでなく全国や世界にも通用する「静岡大学ブランド」を確立させたのであった。

ところが、再編がなされれば静大工学部と情報学部は静大ではなくなる。異なる大学として歩み始めることはすなわち、この「静岡大学ブランド」の終焉を意味するのである。

企業活動の世界では「ブランド」は財産の一つとしてみなされている。

ブランドという「看板」と本質とは別の次元の議論かと思われるかもしれないが、ブランドにも価値はあり、やがてはその教育や研究の質にも影響しうるものといえる。

 また、静岡キャンパス側のビジョンが提示されていないという批判もある。学長らは浜松における医学・工学のコラボレーションによる研究活動の質の向上を訴えているが、その一方で、切り離されることとなる静岡キャンパスの今後についてのビジョンが十分に示されていない。

静岡に残されるのは教育学部、理学部、農学部、人文社会科学部の4学部のみであり、競争力という点では不安が残る。

現在は静岡の4学部、浜松の2学部を合わせた6学部の総合大学として運営されているが、総合大学でなくなることにより国からの運営交付金の削減やランキングの低下、受験者数の減少などが懸念される。

さらに、教養科目や研究活動において静岡・浜松間でのやり取りがあったが、別大学になれば手続などが煩雑になる恐れがある。

 これらの点から反対が論ぜられており、しかしながら、これらの懸念に対して未だ学長からの回答はない。

②決定プロセスの問題

 石井学長は、多くの反対の声を「感情論である」と一蹴している。確かに、運営の合理化や効率化は望ましい点もあるだろう。少ないコストで最大の成果が得られればこれ以上に良いことはない。

この再編統合もそうした「改革」の流れのなかにあり、石井学長らをはじめ推進派にとって先述の「ブランド」などは「感情論」としか見えないのであろう。

しかし、そうした強行的な姿勢や、他の意見の尊重という態度が見られないこの有様こそが批判されるべきであるといえよう。

石井学長は「反対派の声も聞き進めていく」という旨の発言を何度もしている。だが、「再編統合ありき」の決定プロセスのなか、十分に練られていないこの再編案をもって3月の合意に至っている。

こうしたプロセスこそ、反対派が「拙速である」と評している所以である。

 さらに、大学当局はこの問題について学生に対する説明を一切してこなかった。合意後、「合意した旨」についての情報は公式ホームページに掲出されたものの、学生が日常利用する「学務情報システム」においてそうした情報は一切出ていない。*2

それゆえ、3月当時学生はこの問題についてメディアやSNSを通じてのみ知ることができ、さらに、問題それ自体を知らない者も決して少なくはなかった。

これは、学長が学生をステークホルダーとして見なしていないことの現れであり、この姿勢は大いに問題があるといえるだろう。

 

 3.問題の背景

 ここまで、再編統合問題における現状の問題点について論じてきたが、この問題に至るにあたってはその背景となる制度の問題や歴史といったものがある。ここではそれらに言及していく。

国立大学法人化と大学の「効率化」の問題

2003年に制定された国立大学法人法に基づき、それまでは国の内部組織であった国立大学は大学ごとに法人化され、2004年より「国立大学法人」として運営されることとなった。類似した制度として挙げられるのは独立行政法人制度である。

独立行政法人制度では、公共上必要な業務について国が財政措置をしながらも、実際の運営は法人に委ねサービス向上と効率化を図るものとしている。国立大学法人制度は、その点については同様ではあるが、大学の性質上、自主性・自律性を持たせたものとなっている。*3例えば法人の長の任命などは各大学の裁量に委ねる点などが異なっているといえる。

自主的・自律的な運営により教育研究水準の向上が期待された。文科省は、少子化などにより大学の運営をスリム化させたいとのねらいがあり、先述の「アンブレラ方式」の導入を進めたいと考えている。

そのような「理想」とは裏腹に、国立大学法人化により日本の大学では研究の質や国際競争力は落ちていると言われている。

国からは大学に対して運営交付金が支給されているが、毎年削減されていく漸減方式を取っている。そのうえ研究者は競争的資金の獲得に時間を掛けなければならず必要な研究が十分にできていないのである。

国は研究や大学に対して評価を「論文の数」といった可視的なものに要求し、それゆえ基礎研究などではなく、短期的で「役に立つ」研究ばかりが重視されるようになってきている。

このような表面的な成果主義のなかでは「数」を求めて研究不正も起こりうる、ということは少し考えればわかることであろう。

こうした「効率化」の流れは民間の手法に則ったものである。

無駄を省き最大の効用を目指すことは経営という観点からは理想的なであるといえる。1980年代以降、世界各地でネオ・リベラリズム的な政策が推進され、日本の国立大学もまた、そうした「行財政改革」の風潮に巻き込まれた。

そして、ここまでで述べたような弊害が生じているのである。

 

大学を「学術研究の場」ではなく「人材供給の場」「イノベーションの場」として価値を置くのは、ほかでもない経済界の要請である。

先述の「役に立つ」研究が志向され、「評価」されるのはそういった研究である。静大工学部と浜医大が志向するのは、そういった経済界の要請に基づいた「役に立つ」研究の効率的な推進であろう。

むろんそうした観点は部分的には必要ではある。

しかし、大学において体得すべき「知」は必ずしもすぐに「使える」とか「役に立つ」ものだけではない。

総合大学であることの意義は、文理問わず多くの学問にアクセスできることであり、そのなかで活発に議論できることである。

確かに「役に立つ」だけに価値を置く限り、総合大学の必要性を感じることはないだろう。しかし、大学というもののあり方を考える上で、効率化の追求こそが唯一絶対の価値観なのか、どの立場であれ改めて問い直すべきである。

 

浜松医科大学設立の経緯

ところで、そもそも浜医大が、「静大医学部」として設立されていれば、または、後に静大に医学部として編入されていれば話はもう少し簡単だったのではないか。

同じ静岡県の国立大学なのであるし、「静岡大学法人」として運営していれば統合や再編の話は必要がなかっただろう。

しかし、その浜医大の設立の経緯こそがこの問題を複雑にしているのだ。その歴史的背景について言及する。

浜松医科大学は本来、静岡大学医学部として設立されることが考えられていた。高度経済成長期の1968年、静岡県の医療水準が低いことが明らかになると、県議会には「医科大学設立促進委員会」が設立され、「静岡大学医学部設立に関する陳情書」を政府に提出した。

その一方、静岡市浜松市は医学部を誘致すべく争奪戦を繰り広げていた。

県議会では激しい争いとなったが、1972年に西部出身の竹山知事により浜松への設置が進められ、医学単科大学として設立されるに至った。*4

静岡県は、かつての駿河遠江、伊豆という三つの国から成り立っている。それぞれ異なる文化や市民性を持っており、同じ県であるという以上にそうした細かな地域ごとのアイデンティティが強い。

この議論は、国立大学法人の効率的な大学運営を志向することだけにとどまらず、歴史的になされてきた静岡県中部・西部の地域的な争いの延長にあるともいえる。

ここまで二つの背景について言及した。

これらからわかることは、国立大学法人制度という制度的な問題と歴史的・地域的な背景の問題、また、日本の国立大学が今後経験しうる普遍的な問題と静岡県の特殊な環境に係る問題、と複合的に影響し合いこの再編統合の問題に繋がっているということである。

 

4.おわりに

簡単にではあるが、静大と浜医大の統合再編問題について整理してお伝えした。

70年の歴史を持つ静大ブランドが分岐点に差し掛かっているなか、この状況をどう捉えるかは各々の価値観にもよるだろう。

しかしながら、大学とは何か、大学とはどうあるべきか、そして学ぶこととは何か、を考え議論していくことは誰にとっても必要なことであると思う。

考えることや対話することを通じて、一人ひとりの大学での学びが豊かになると考えるからだ。

未来はどうなるかわからない。未来を良い方向に変えることはそう簡単なことではないだろう。しかし、一人ひとりが考え、対話をすることで未来は自ずと良い方向へと変わっていくだろう。

*1:静岡新聞 2019年3月30日 朝刊30面「期待感は「西高東低」静大・浜松医大統合合意 新名称など決まらず」

*2:2019年7月「学長ブログ」が更新され、ようやくこの問題について学長が直接言及した。その後も複数回更新している

*3:文部科学省ホームページ「独立行政法人制度と、国立大学法人制度とはどこがどのように違うのですか」http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/houjin/03052702/010.htm(2019年5月15日アクセス

*4:浜松市史 五 p513~516

https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/2213005100/2213005100100050/ht003410