遠くへ行った星野源
はじめに
2016年、大学1年の年末。
私は実家で撮り溜めたあるドラマの録画を消費しながら炬燵の中で悶えていた。
そのドラマとは、秋から冬にかけて爆発的なヒットを記録した「逃げ恥」こと「逃げるは恥だが役に立つ」である。
まぁ星野源と新垣結衣(以下ガッキー)が"契約結婚"をして共同生活をするお話なのだけれど、そのなかで、"やりがい搾取"などの社会問題をナチュラルに描いているところや、不器用な二人のキャッキャウフフな感じとか、ガッキーが可愛いこととか、ガッキーが可愛いことなどを理由に社会現象になっていたのは記憶に新しい。
特に、エンディングの星野源の「恋」と出演者らが踊る「恋ダンス」はブームになった。
そんなわけで、それ以前も少しずつ人気だった星野源は一躍時の人となり、もはや「知らない人はいない」スターになったのである。
だが、この時期から、私のなかにある「星野源観」との乖離を明らかに感じるようになった。そこに、お気に入りのAV女優やTENGA、自慰行為について熱く語る星野源の姿がなかったからである。
以下は、「推し」が遠くへ行ってしまったと感じている身勝手なリスナーの思い出を、ほぼ曲の発売の時系列で並べてみた話である。中身のあるものではない。
出会い
2012年の1月頃だろうか。
J-waveの23時50分ごろからの短い時間、録音だったが月曜から木曜とかで毎日放送していた。
この二人のトークが面白くないわけがなく、これが書籍化されていたものを北海道に住んでいたころに読んだ記憶がある。
もちろん東京ローカル。父親が死に、母の実家がある東京に引っ越してしばらくしてから、その番組の存在を思い出した。
それからというもの、毎日23時半くらいになるとラジオのスイッチを押すようになった。
ある日、ラジオの電源がオンのまま24時になった。
「どーもー、星野源でーす」
それが「彼」との出会いだった。
中学2年の冬である。
それは、星野源をはじめJUJU、ハマオカモトといったアーティストたちが毎日入れ替わりでパーソナリティを務める「ラジペディア」という番組だった。やはりこちらも東京ローカルだ。
もちろん新曲が出ればそのプロモーションもするわけだが、普段はというと、毎週パーソナリティたちが「お題」について自由に語るような内容だったと思う。
星野源自身を”面白い”と感じたのかは、今となってはわからない。
だが、リスナーから送られてくる低レベルの下ネタを読み上げながら、いちいちゲラゲラと笑う星野源の声を聴きながら私もゲラゲラと笑った。当時星野源が好きだった人たちは、変な人たちが多かったので(偏見)、面白い大人たちの雑談に囲まれているような気持ちになった。
中2の頃の私は、転校した東京の中学校であまり馴染めず、休み時間も居場所を求めて図書館に籠る日々だった。ろくに話せる相手もいなかったし、感じの悪い同級生からの陰口に耐えていた。
そんな生活のなかで、週一回の星野源の回があるから、なんとか生きようと思えるようになった。
星野源は、会ったことこそないけれど、私にとっては「漫画もアニメも大好きな陰キャの先輩で、下ネタも好きなお兄さん」だった。芸能人とか歌手とか、そういう「スター」みたいなのとは違うベクトルでリスペクトしていたのである。
さて、当時は「フィルム」が新曲として発売されたかされてないかという時期だったと思う。
星野源 - フィルム【MV & Trailer】/ Gen Hoshino - Film
冬の深夜。
うまく説明はできないのだけれど、この曲が「染み込んで」きた。
当時私はアース・ウィンド&ファイアーなどブラック寄りの音楽にハマっていた。それとは少し趣きが違うけれど、気づけば星野源の楽曲に引き込まれるようになっていったのだった。
ひねくれもの
それで、星野源になんでハマったのか考えてみたのだけれど、この男の書く歌詞というのは、なんというか「ひねくれている」のである。
星野源 - 日常【Music Video】/ Gen Hoshino - Nichijo
みんなが嫌うものが好きでも
それでもいいのよ
みんなが好きなものが好きでも
それでもいいのよ
共感はいらない
一つだけ大好きなものがあれば
それだけで
とか、
星野源 - 夢の外へ【MV & Trailer】/ Gen Hoshino - Yume no Sotohe
自分だけ見えるものと
大勢で見る世界の
どちらが嘘か選べばいい
君はどちらをゆく
僕は真ん中をゆく
とか。
私も昔からこだわりが強いほうだったと思う。
みんなが好きなもの、流行っていることに易々と乗らない、そんなタイプの子供だったし、何なら今でさえそんなものである。
特段悩んでいたわけでもないけれど、それでも段々と周囲に適合できていない自分というのに気づくようになった。
もちろん、人の「好き」は尊重すべきだと思う。
けれど、自分なりの「好き」を貫いてもいい、と星野源の楽曲たちは教えてくれた。
彼の生き方を見ていても、そんな良い意味での(?)ひねくれものというスタンスに変わりはないように思える。
楽しい地獄
星野源が倒れた、という記事がネットニュースを駆け巡ったのは2012年の冬だった。
レコーディング直後にくも膜下出血で倒れたのだ。
死んじゃったらどうしよう、と心から思った。
せっかく出会ったのに、これからだっていうのに、と思った。
幸いにも彼は、なんとか一命は取り留め「復活」を果たした。
復帰直後のラジオで自慰行為について語った彼の様子から、本当に治ったんだなと思った。
闘病生活は苦しいものだったと星野源のエッセイ『蘇える変態』(マガジンハウス)にも記されている。
せっかく音楽も演技も軌道に乗ってきたのに、その最中で動けなくなってしまったことの絶望感はこの上なかっただろう。
「地獄は相変わらず、すぐ側にある。いや、最初から側にいたのだ。心からわかった、それだけで儲けものだ。本当に生きててよかった。クソ最高の人生だよ。まったく。」*2
この「地獄」を綴った曲が、「地獄でなぜ悪い」である。
同名の映画の主題歌として作られた曲だが、偶然にも彼が病気で倒れたタイミングで作ることになった。
この軽快さが、「地獄」をネガティブかつポジティブに表現していると感じる。
嘘で出来た世界が目の前を染めて広がる
ただ地獄を進む者が悲しい記憶に勝つ
個人的には、これが一番「星野源」っぽいと思う。
もちろんその前後の曲も好きなのだけれど、私が知っている「星野源的な世界」というのはこういう感じなんだよな。
「明るい闇」みたいな世界。
健康であってほしいけれど、もしかしたら病気というタイミングで変化があったのかもしれない。
「イエローミュージック」の追求
病気明けのラジオで、「知らない」を生演奏したときのことはよく覚えている。「あまり声が出ないかもしれないけど」と言いつつ、声を裏返しながらもフルで一曲歌い切った。
無理しないでほしいと思いながらも、そのプロ根性のすごさを感じた深夜であった。
2015年頃から、彼が作りたかった曲が形になってきているように思える。
例えば「SUN」は70年代のダンスクラシックを意識している。
星野源 - SUN【MV & Trailer】/ Gen Hoshino - SUN
詳しくないので解説できないが、ベースがすごく良い。
かつてYMOが挑んだような「日本のポップス」を作るという意思が感じられる。彼自身も細野晴臣と親交があるし、その点ではかなりリスペクトがあるように思える。
この時期の、アルバム「YELLOW DANCER」以降は日本ポップス音楽史に残したいと感じさせる楽曲が多い。
世間で「星野源」が認知されはじめたのはこの辺だ。高校時代、クラスメートに「好きなアーティストとかいるの?」と言われて「星野源”っていう人がいて”」と答えていた私だが、「っていう人」を外して語れるようになったのはSUNが出てからくらいだ。
2016年
春、星野源がオールナイトニッポンをやると聴いて毎週聴いた。
そして、秋。
皆さんご存知「恋」である。
「逃げ恥」のエンディングでのダンスは社会現象化していたし、もはや星野源を知らない人はいなかった。
心地よいサウンドで、なおかつ彼が目指していたポップスのイメージにより近づいたのではないかと思う。みんなが星野源を知ってくれて私は嬉しかったよ。
その後も「Family song」や「ドラえもん」など、もはやリンクを貼らなくても聴いたことがある楽曲がヒットを続けた。
「POP VIRUS」も「恋」以降の星野源の世界観という感じでなかなかよいアルバムであった。さらに、ワールドツアーも予定されているそうだ。
インスタグラムも始めたし、Spotifyなど配信サービスでも彼の楽曲が聴けるようになったのは大ニュースだった。*3
健康で、さらにファンも増えていて、それは喜ばしいことだ。
でも、なんとなく寂しい感じもするのだ。
遠くへ行った星野源
私が出会ったのは深夜のローカルラジオである。もちろん彼がそれから「成長」してここまで来ているのは事実である。彼のなかでも変化はあっただろう。
だが、なんだかやっぱり「違う」と思ってしまうのだ。
星野源 – くだらないの中に (Official Video)
流行に呑まれ人は進む
周りに呑まれ街はゆく
僕は時代のものじゃなかうて
あなたのものになりたいんだ
という歌詞がある。
もちろん、彼は今でも自慰はするだろうしAV女優や漫画も好きだろう。
だが彼は「スター」になってしまったのだ。ラジオをつければ”会える”、あの下ネタ大好きのお兄さんではなくなってしまった。キラキラしたどこか遠くの世界へ、キラキラした人たちに囲まれて行ってしまったのである。
もちろん、「遠く」とは言っても”かつて”近くにいたわけではない。だからこそ、このモヤモヤが悔しい。
ツイッターで「ばかくん*4」の過去ツイートが晒されて炎上したことがあるけれど、世間の人々は、今の「きれいな星野源」だけでなく昔の星野源も愛してくれたらいいな、と思う。
別に今の星野源が嫌いというわけではない、という点はご留意いただきたい。
あくまで「僕のなかの星野源」が遠くへ行ってしまったと言いたかっただけである。それを踏まえて、これからも「スター」になった星野源を応援していくつもりだ。