そんなに急いでどこへ行く

面白い話ができたらと思っています。

再編反対派よ どこへ行く

今年の3月、桜の蕾も開こうかという時期に突如「静大再編問題」という嵐が、この静岡大学のなかで吹き荒れた。それから東西両キャンパスを巻き込み県内メディアを騒がせる話題とはなったものの、気づけば、定年坂の銀杏が踏みつぶされて強烈な臭いを放つ時期になってしまった。

 

幾度に渡るシンポジウム、それに先日の対話集会といった集まりの開催に加え、メディアなどでも取り上げられる機会も少なくはなかった。

 

私自身も当初から問題視していた一人として、再編問題について考えることが多かった。

 

しかし、だ。

私自身は、この再編問題と、それについての議論について長らくモヤモヤとした気持ちを抱いていた。

それは、いわゆる「反対派」の欠陥である。

再編反対のスタンスで動いている先生方や関係者の方にはお世話になっているし、声をあげてくれていることには感謝の気持ちがあるのは事実だ。

 

だが、このままだと前に進まない、と私は考える。

そう考える理由と、私見ではあるが今後持っていきたい議論の方向性について提言していこうと思う。

 

1.反対派の問題点

まず、反対派の問題点を端的に述べると、①何に「反対」なのかがわからない。それゆえの、②「着地点の不存在」であると思う。

 

①何に「反対」なのかがわからない

この再編問題において、ひとくちに「反対」と言っても人によりグラデーションがある。例えば、「統合には賛成だが再編には反対」という人とか「統合にも再編にも反対」という人、さらには「浜松医科工科大学という名称に反対」という新種も出現している。

これらはいずれも「現行案に反対」であることに変わりはないが「何に反対しているのか」が全く異なっている。これでは議論がかみ合わないのは当然である。もっと言うと、何かしらの反対を訴える人たちが本当に問題の本質を理解しているのかすら疑問ではある。

「再編問題」の何を問題としたいのか、を反対派諸氏は今一度整理する必要があるのではないか。

 

②着地点の不存在

そして、上で述べたことを原因として、「現行案に反対する立場」が「何を目指しているのか」を明らかにできていないのが、最大の問題だと考える。

 

すなわち、「現状維持」なのか「改革は許容するが現行案に反対」なのか「新名称に反対」と、求めるものが全く異なっているにも関わらず同じ「反対」という立場の空間にいるから、わけがわからないのである。

学長を擁護する気は1ミリたりともないが、確かに、反対派は何をしたいのかが全くわからない。一部の人々が勝手に騒いでいるように映るのも仕方のないことだと思う。

 

学長および推進派の目指している大学再編案がきちんと詰まっておらずメリットの根拠などがガバガバであること、新名称も情報学部の存在を軽視していることなど、問題は少なくない。

だが、その問題のある現行案を、仮に反対派が「食い止める」ことができたとして、結局、その「食い止めた向こう側」はどうあってほしいのか。それが見えてこないのだ。

個人的に、よく野党へのバッシングで用いられる「反対するなら代案を」という発想は大嫌いだ。だが、この問題の性質を考えると、反対派の側にもある程度の「大学のあり方」をイメージできているほうが強いのではないかと考える。

2.手続き論で攻める時期は過ぎた

私自身も散々批判している点ではあるが、石井学長や推進派の拙速な決定が問題となったのは事実である。きちんと合意形成を図っておけば、ここまで大荒れにはならなかっただろうし、学生や地域社会に対しての説明責任が不十分だった点も大いに問題だったといえよう。

学長の「学生はこの問題の当事者ではない(口出しするな)」というスタンスだとか、静岡市を軽視した発言などは大いに問題であるといえる。

 

だが、そのような「拙速である」という問題点は、それ自体を理由としてこの再編を止められるものではなくなった。確かに、その拙速さゆえに学長らにより驚くほど程度の低い現行案が進められようとしているのも事実だ。そして、それはこの問題が顕在化した春ごろであれば通用したといえよう。

しかし、もう11月になり、情報はある程度揃っている。

SNSやマスコミを通じてはもちろんだが、学長自らが「学長ブログ」なるコンテンツを通じて、お気持ちを表明するようになった。いずれの媒体も価値のあるものかどうかは別として、「静大の再編統合についての情報」であることに変わりはない。

ここにきて「情報共有が不十分であった」と過去のことを批判するのは、もはや建設的ではないのだ。なお、私自身も、この点については反省すべきだと考えている。

 

一方で、学長やその周辺が再編を強行したことや、合意形成が十分に図れておらず結果的に”ゴタゴタ”が生じたという事実自体は「静岡大学史」に残るものとして未来永劫批判していくべきものではないかと思う。

国立大学の学長が大学の経営についてワンマンで進めようとしたことについては、日本の大学史における悪しき、恥ずべき歴史として語り継いでいく必要がある。

そして、今後二度とこのようなことが起こらぬよう「反面教師」の先行事例として共有されるべきだ。

 

しかし少なくとも、2019年11月現在の「再編反対」の材料として利用するにはあまりにも”弱い”と感じる。過去ではなく、これからどうするか、を考える時期に来ている。

3.これからどうしたいか

ここまで、「反対派」について現状を分析したうえで、自分に対するものも含めて批判してきた。ここからは完全な私見である。私自身の考えを明確に述べていきたい。そのうえで、これからの静岡大学が「どうあってほしいか」を提言したいと思う。何度も言うが、あくまでも私見である。根拠はない。

 

※①は「何に反対か」、②は「着地点」についての言及である。教職員含め、この問題に関心のある方は、「①何に反対か」「②(自分にとっての)着地点はどこか」を明確にしてほしい。

 

静大の改革には賛成。しかし…

私は、「静岡大学の改革」自体には反対しない。すなわち、法人統合自体に問題があるとは思っていない。

というのも、時代により大学を取り巻く環境は変わるものだし、(一法人複数大学という制度自体の問題性は別として)そんななかで、静岡大学浜松医科大学がその一法人複数大学という制度を活用し静岡県内で一つの法人として”統合”することは一つの道として問題はないのではないかと思う。

もっとも、3月の段階で法人統合自体は決定している。*1

それを覆すことは難しいし、その必要はないと考える。

 

何に反対なのか。

静岡大学の静岡キャンパスと浜松キャンパスがバラバラとなりどちらも規模が縮小されるだけ」の現行の案には明確に反対である。さらに、そんな現行案が反対派や静岡市の意見もまともに聞かずそのままの姿で進められようとしていることも問題だと感じている。

 

考えてみてほしい。

静岡に4学部、浜松に3学部の小さい国立大学ができるのだ。

いくら法人が同じだとはいえ、常識的に考えて何でも大学単位で考えるものだ。名古屋大学岐阜大学が法人統合を決定し2020年より新法人が設立されることとなったが*2、人々はみな岐阜大学名古屋大学を同じだと考えるだろうか。

再編によりメリットがあるとされる浜松市側も、それが”本当のメリット”なのかは、今一度考えるべきだと思う。「静岡大学」を失うこと*3が、教員や学生はもちろん浜松市や県西部の地域社会にとってどう働くかは、じっくり考える必要がある。

それは新大学の名称が「浜松医科工科大学」ではない、まともな名前だったとしても同じである。「やらまいか」は、学長の暴走の免罪符ではないはずだ。

 

②今は立ち止まるとき

私が求めるのは、この「再編統合の延期」である。それも5年とか10年とかのスパンのものだ。その間に熟議を重ね、きちんと計画を「練り上げる」必要があると考える。今は「立ち止まるとき」なのだ。

 

合意形成がきちんと図られておらず、反対意見がわらわらと湧いてくるような案が「きちんと詰まっている案」だとは思えない。*4

 それゆえ学長や推進派は、きちんと根回しだとかをした上でメリットを説明できるような案に練り直してくる必要があると思う。要するに、 出直してこいということだ。

 

もちろん、意見は多様だし100%の賛成が得られるとは考えられない。だが、現在のように、ろくに練られていない案が無理やり進められるよりかは、学内外で合意形成をきちんと図られ皆が納得し妥協できる案のほうがよほどマシである。何より、透明で適切なプロセスを経ることができるのは大きい。もっとも、そんなのは当然のことなのだが。

 

また、将来的に、具体的な名前は挙げないが静岡市内の(公立・私立問わず)大学と統合したり、経営や教育面で協力できるのなら「総合大学」として静岡キャンパスは成立しうるだろうし、浜松においても同様であろう。もちろん制度上の壁やお互いの大学のアイデンティティの問題などもあるから難しいだろうし、これが正しいかはわからない。だが、静岡と浜松の両キャンパスを切り売りするだけの中途半端な現行案を推し進めるくらいなら、これくらい面白いアイデアを見せてほしい。

 

さらに、静岡市との協議会の設置は不可避だ。それは、先日の市議会の質問における「ゼロベース発言」のなかでも明らかになったことで、実際問題すでに学長らが静岡市を無視することが事実上不可能になっている。

私は、この協議会を「可視化」すべきだと考える。それも、市民、県民全体に対して開かれたものとして行われるべきだ。それこそが、学長自身が今年春の段階で果たせなかった「説明責任」を実現するものだといえるし、ここで逃げたら単なるアリバイ作りでしかなくなる。

これまでの学長の態度は批判されて当然だといえるが、ここにきて「誠意」を見せることができるかがカギではないかと思う。過去は変えられないが未来は変えられる。

 

”大人の事情”があるから急ぎたいのはわかる。だが、大学の未来を変えるような重大な決定を、この短期間で下してしまうのは普通に考えて危険ではないか。

 

この延期している5年~10年の間に、きちんと熟議をし納得のいく結論を導き出すことが、最も簡単で皆が納得のいく解決策だと考える。学長は「ゼロベースとはまとまっている現行案をもとに、ほかの人の意見を聞いてやることだ」と仰っているが、単純な延期は現行案自体を否定するものではないから、ある意味でこの「延期」は学長の言うところの「ゼロベース」とも合致する。

もっとも、そのころには石井氏も学長の座を退いており、彼の手柄ではなくなってしまうのだが。

 

もう一度言うが、今は「立ち止まるとき」だ。静岡も浜松も、賛成も反対も関係がない。私は「再編の延期」を求めるべきだと思う。

暴走した機関車を止めるのは私たちしかいない。「反対派」はブレーキであるべきだ。惰性的な活動では機関車の暴走は止まらない。

 

どんな立場であれ、この現状を冷静に考えるべきだ。そして「どうしたいか」を考えてほしい。

 

静岡大学よ、そんなに急いでどこへ行くのだ。

*1:静岡大・浜松医大が統合合意「相乗効果で機能強化」静岡新聞 2019年3月30日 https://www.at-s.com/news/article/education/616992.html

*2:名大と岐阜大が法人統合に合意「東海国立大学機構」傘下に 日本経済新聞 2018年12月25日https://www.nikkei.com/article/DGXMZO39334170V21C18A2CN0000/

*3:静大の”ブランド”という意味だけでなく

*4:学長は現行案について「変えるべき点はない」と考えているようだ。前回記事参照https://jimetravel.hatenablog.com/entry/2019/10/25/235919