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6月21日 再編シンポの違和感

目次

  1. はじめに
  2. 噛み合わぬ議論
  3. 本当に議論すべきこと
  4. おわりに ーこの問題を「イデオロギー」化してはならないー

 

1.はじめに

2019年6月21日

静岡大学の再編統合問題に関しての学内シンポジウムが開催された。

先月も同様のシンポジウムが開催されたが、今回はその学内バージョンということで、広く学生や教職員の参加が期待された。

今回は特に、浜松キャンパスにもSkypeを通じて生中継された。それもあってか、今回は両キャンパス合わせてこの問題に関心のある学生数十人が参加したようだ。

理学部の坂本先生、塩尻先生、農学部の本橋先生の三名が問題について解説し、各々の議論を展開した。

約2時間であったが、非常に濃い時間であったと感じる。

 

さて、私は今回参加してみて感じたことがある。

それは、人々の意識の違いと「議論」の質の問題である。

そこに「違和感」があったし、今後はそれを克服した議論が必要だと感じた。

どういうことか、シンポジウムでの「議論」を踏まえて考察したうえで、今後の議論のあり方を提言できたらと思う。

 

まだきちんと整理できていないのだけれど、なるべくわかりやすく言語化するよう努めたい。

 

なお、この文章は(根拠に基づいていない)あくまでも個人の感想である。

静岡キャンパスの学生の総意ではないし、この感想に対して異なる感想を抱くこともあろう。

さらに、ここからは「批判」も含まれる。これは、特定の個人や集団を貶め、また、彼らが「別の意見」を持つことを妨げるものでは一切なく、あくまで私の「一個人の一意見」を表明するに過ぎない。

 

見る方によっては不愉快な思いをしてしまう可能性もあり、その点については大変申し訳なく思う。

特に、質疑応答におけるコメントについて言及したが、コメントの主の個人の人格を攻撃する意図は一切ない。あくまでこの「議論」のなかでの反論可能な「批判」として引用させていただいた。

 

それを理解した上でお読みいただければと思う。

 

2.噛み合わぬ議論

 今回のシンポジウムで感じたのは静岡と浜松の「意識の差」である。

端的に言ってしまえば議論と呼ぶにはあまりにも「噛み合っていない」のである。

その理由について私なりに考察したので述べていく。

 

開始してしばらく経ってから気づいたのだが、浜松の学生を中心にツイッターで「#再編シンポ」というタグで実況されていたようだ。

リアルタイムで見ることができ、大変興味深かった。

正直、そうやって実況されていることがわかっていれば、もう少し内容を整えたうえでお話すればよかったと思った。まぁ、それはいいとして。

 

ここからは、このタグやシンポ後半の質疑応答を見た感想だ。

 

今回のシンポジウムの流れとしては、先述の三名の先生方のお話が1時間ほど続き、その後質疑応答の時間を持つというものだった。

基本的に静岡キャンパスには「再編統合反対派」のいわばレジスタンス的な立場の教職員が多い。それゆえ、お話自体は「反対」がベースに進められているように思えるのは事実であろう。

パワーポイントでの解説もあった。先生方が一生懸命作られたのを承知で指摘するが、私自身にとってもそのスライドの文字サイズや図表などが多少わかりにくい部分もあったように思える。

さらに、先述のとおり今回はSkypeで浜松と生中継していたが、そのSkypeでの中継もスクリーンを直接写すものであったために上半分が見えないなどのトラブルが続いた。

音声もきちんと拾えていたのかも疑問ではある。

 

さて、このようなシンポジウムの運営方法について、ツイッターや質疑応答において浜松の学生たちはなかなか厳しい指摘をしている。

何より、このシンポジウム自体が静岡市で開催されており浜松市で開催されないことはおかしいのではないかとの指摘もあった。

確かに、関心が強く「反対派」の意見に同調しがちなのは静岡市側である。この再編統合案で一方的に「不利益」を被るのは静岡市側だけだからである。

そのような、いわば「ホーム」でばかりこうした集まりを開催するのはアンフェアだ感じるのは不自然なことではない。

また、学務情報システムなどを通じた周知がなかったことについての批判もあった。確かにこのシンポジウムの存在はネットや学内の掲示板の情報を通じたものであり本当にやるのか、という感じではあった。

 

だが、議論の本質は「シンポジウムのあり方」なのだろうか。いま議論すべき点はそこなのだろうか。

 

シンポジウム、ひいては大学再編に関心のある先生方は「インフォーマル」な存在である。つまり、授業や講演会と違い大学オフィシャルの活動ではなく、いわば非公認サークルのようなものである。

周知方法についてはインフォーマルな組織である以上はネットや掲示板での告知ぐらいしかできないので最大限の努力だったと思う。

 

 静岡大学の「静岡ー浜松」関係では、例えば入学式が静岡市で行われるなどの点からも「不公平感」があるようにも思えるし、何より、静岡大学の本部は静岡市駿河区大谷836である。

このような静岡大学の(見かけ上の)「静岡中心主義」的なあり方を見ていると、このシンポジウムに対してはそれに当てはめての批判があったように思える。すなわち、「浜松はライブ配信だけなのか」というような意見からも、(本人が意図したかは別であるが)「やはり静岡中心なのか」という旨の批判だったのだろうと推測する。

しかしながら、先述の通り、この問題において「不利益を被る」のは静岡キャンパス側であり静岡県中東部のみである。*1

 それゆえに、浜松市よりも静岡市の人間のほうが関心があるし、問題意識を持っているのは圧倒的に静岡市側である。

学長の案に「待った」をかけるべきと考える人間が多いのが静岡市側である以上、静岡での開催になってしまうのは致し方ない部分はあると感じる。だが、もちろん、浜松キャンパスの声を聴くという意味において浜松キャンパスなど県西部でもシンポジウムは開催すべきだと思う。

 

何度でもいうが、いずれにせよ、このシンポジウムはインフォーマルな「非公認サークル」のような集まりである。

 

確かに「反対意見」のほうが強調されているようには見える。

だが、現在の状況は、学長をはじめとする「国立大学法人静岡大学”オフィシャル”」という強大な権力を持つ組織が「賛成意見」の立場で強引に推し進めている、というものである。

言い方は悪いかもしれないが、坂本先生や本橋先生をはじめとする「再編統合反対派」の力は圧倒的に弱いのである。

 

それゆえ、そうしたインフォーマルな集団を叩いたり揺すったりしてみても、何も落ちてこないことを理解したほうが良い。

 

坂本先生や本橋先生はあくまで「中心人物」であるに過ぎず、彼らを「オフィシャル」と同一視して「あれが足りていない」「これができていない」という旨の批判するのはお門違いである。 

できていない点があるなら事前に指摘したり、「一緒に作り上げていく」という姿勢を持つべきだと思う。

 

また、本橋先生に対して「なぜ止めなかったのか」などという質問もあった。個人的には、そりゃあ当時は副学長という立場であって”体制内”の人間なんだし学長様に真っ向から反対することは構造的に不可能だと思うのだが、と思った。

だが、そのように「反対派」というインフォーマルな組織の中心で、いわば矢面に立っているだけの立場上「弱い」人々が、まるで「不祥事を起こした会社のトップ」のような構図で非難される様はなんとも異様な光景であった。

 

静大当局」よりも構造上は弱くて脆いインフォーマルな組織たるシンポジウム実行委員会に対して「誠意」を求めるのなら、それと同じレベルかそれ以上に、強行的な姿勢を取る学長に「誠意」を求める必要がある。

 

静岡キャンパスの教員から「加計学園と一緒にするのは~」という質問があった気もするが、私自身の能力不足によりよくわからなかったので今回は言及しない。

 

シンポジウムでの質疑応答が「シンポジウムの運営について」に関するものであったり、ツイッターなどでは「資料や話のクオリティ」に関する批判も多かった。

もちろん、パワポの画面をカメラで写したりする原始的なやり方は改めるべきであるが、それへの批判は二次的なものである。

 

やはり、静大再編統合についての前半の議論を踏まえた質疑が多ければより有意義なものとなったと感じる。

例えば、「競争力低下の恐れがある」という旨のお話に対する反論であるとか、「学長の強行的な姿勢」についてどう思うか、というものだ。

期待していたのは「シンポジウムの中身」への批判であったのだが、悪い言い方をしてしまえば「揚げ足取り」のようなものに終始してしまっているのが残念だった。*2

 

こういうわけで、「噛み合っていない」と感じたのだ。

3.本当に議論すべきこと

混沌を極めたシンポジウムであったが、その「議論」をより生産性のあるものへと昇華させることが急がれる。

 

6月21日の学内シンポジウムは私にとっては、いわば「開催することに意義がある会」という次元だったと感じている。

議論というよりも、状況の説明をするということに関しては主観が入っていたとはいえ十分に行えていたとは思うし、そもそも会自体の開催はそういう趣旨だったと思う。

だから、開催できたことや多くの人が参加したことは大きな意味があったと思う。

 

そして、これからはその「次の次元」に移行していくべきであると考える。

浜松の学生が、「学生が議論する機会を設けるべき」と意見していたが、まさにその通りである。*3

 

私が考えるのは、内容をより深いものにすべきだということである。

学生や教職員が現在の意識(あとは知識、理解)のままで「議論」したところで、単なる水掛け論にしかならないのは目に見えている。

それでは、「議論」をより生産性のあるものにするにはどうしたらよいのだろうか。

 

まず何より「問題の本質」について議論することである。

そして、その本質について複数の論点を設定したうえで、理解を深めることが第一歩だと考える。

 

例えば、賛成や反対はあるだろうが、あなたなら以下の質問にはどう答えるだろうか。

  1. 静岡大学浜松医科大学の法人統合に賛成か反対か。その理由は何か。
  2. 静岡大学の再編に賛成か反対か。その理由は何か。
  3. 現行案のまま再編統合が進行したとして、浜松側のメリットは何か。
  4. 現行案のまま再編統合が進行したとして、静岡側のメリットは何か。
  5.  「大学」の存在意義は何か。
  6. 5.での「存在意義」を実現するためには、現行案が唯一の方法なのか。
  7. (あなたが静大生だとして)「静岡大学」というブランドについてはどう考えるか。また、アイデンティティはあるか。
  8. (あなたが静大生だとして)何のために大学に入ったのか。
  9. 学長が強行的に現行案を推進していることについてどう考えるか。

今思いつくのはこんなところであるが、何かさらに思いつけば追加していきたい。

私の過去記事で恐縮ではあるが、以前書いた記事で「論点」をまとめておいたので考える際には参考にされたい。jimetravel.hatenablog.com

 何度も言っているが、このような「緊急事態」で議論するなら「生産性のある議論」にすべきだと思う。

「水掛け論」に生産性があるとは思わないし、そのためには「知識」に基づいた「意見」と「その理由」が必要だ。

 

今回のシンポジウムは、「反対派決起集会ではない」というスタンスであったが、基本的に「声を上げる人」が「反対」の立場を取っている以上は反対に傾いたものになるのは自然なことである。*4

ニュートラル」という言葉にどれほどの意味があるのかわからないが、一度、両方の立場が集まる会を開いたら良いのではないか。

場所は、静岡市浜松市の中間に位置する掛川市菊川市にしたい。

 

今回のシンポジウムで知ったのは「浜松にも関心のある人々が大勢いる」ことであり、それゆえに地域的・立場的に中立的な集まりの開催があればよいと感じた。*5

 

私自身は、この再編統合問題を通じて、静大の今後を考えることはもちろん、「大学とは何か」そこから発展して「大学で学ぶとは何か」を考えることができると思うし、皆がその意識を持つことを期待している。

 

大学生が、「大学で学ぶ意義」を考えられないのなら、彼や彼女の学び自体が砂上の楼閣になってしまうと私は考える。

 

「大学のかたち」が変わることは決して安易に進められるべきものではない。

中には「反対派」や「静大再編について関心のある人々」の動きを冷笑する人もいるようだが、この問題の”結果”はステークホルダーたる私たち静大生に跳ね返ってくる。

 

切実に、「自分事」として真剣に考えてほしい。

 

4.おわりに -この問題を「イデオロギー」化してはならない―

 さて、ここまでシンポジウムに抱いた違和感について言及した。

そのうえで、この問題が今後「どう進んでいくか」について少しは考えられたかと思う。

 

私が最後に強調したいのは、

静岡大学をより良い空間にしたい」という思いは皆一緒である、ということである。

そこには静岡キャンパスと浜松キャンパスの違いはない。

この問題に関心のある学生も教職員も、「静岡大学がどうあるべきか」を考えていることに変わりはない。

 

だからこそ、「賛成派の浜松」「反対派の静岡」という「二項対立」のいわばイデオロギーにしてはならないと私は強く感じる。

 

もちろん、「みんな仲良く同じ意見」になることは私は良いことだとは思わない。

多様な人が共存するなかで、多様な意見がフラットに交わされることが民主的な社会にとっては望ましいことといえる。

だが、「静岡だから敵」「浜松だから敵」とするのは違う。

根拠に基づいて互いに意見を交わすことが理想的である。

 

現行案に賛成でも反対でも構わない。

だが、学生を蚊帳の外に置きステークホルダーとみなさず、強行的に進める学長の姿勢の「被害者」であることは、静岡の学生も浜松の学生も同じである。

学長には誠意が必要だと思う。

 

確かに、短期的な目で見ると現役の静大生にとってはほとんど関係のない問題だろう。

だが、これから数十年、ひょっとしたら百年以上続いていくであろうこの大学の、「未来の後輩たち」への責任は果たしていくべきだ。

 

この再編統合案が結果的に「良い」影響をもたらすか「悪い」影響をもたらすかは、未来にならないとわからない。

だが、どのような状況になるにせよ、決定プロセスに関する問題については、学長の安易な考えで進められることに断固として反対すべきである。

 そういう意味において、本来あるべき対立は「静岡と浜松」ではなく、「学生・教職員と学長」だ。

 

「静岡」と「浜松」の”意識”を分断しようとする学長の姿勢が私にとっては許せない。もしも再編統合をする未来になっても、それに煽られて静岡と浜松が「喧嘩別れ」をすることはあってはならないと感じる。

 

大井川の向こう側は「敵」ではないのだ。

 

おわりに

今回のシンポジウム開催のために準備などで労された坂本健吉先生、本橋令子先生、塩尻信義先生ならびにコーディネーターの川瀬憲子先生を始めとする「大学再編を考えるシンポジウム実行委員会」の皆さま、浜松においてセッティングをされた浜松キャンパスの先生方*6、そして、参加されたすべての皆さま、本当にお疲れさまでした。

また、発言の時間をいただいてありがとうございました。話が下手ですみませんでした。

 

それぞれ立場・意見は違うかもしれませんが、

共に静岡大学をより良い空間にしていきましょう。

 

駄文・長文失礼いたしました。

*1:学長案がこのまますんなり通ることで浜松市側にはメリットになるかもしれないが、静岡市側にはメリットがないということ。そして学長は再編統合による静岡側のメリットを説明していないし、それを含め批判されている

*2:むろん、時間の制約などもあったから仕方ないといえば仕方がないのだが。

*3:もっとも、そういった会こそ「学生が」主催する必要があると思うのだが。

*4:これは一般論だが、そもそも賛成派は「何もしなくても事態が自らの想定する通りに動く(現状維持)」ので声を上げる必要がない

*5:本当は、こんなこと言うくらいのだから私が主催したいところなのですが、現在院試前の4年生なので中心的に動けないのです、すみません。

*6:お名前を存じ上げず申し訳ございません