被害者面に騙されるな
少し前だが、ツイッター上でとあるタレントがとある議員に関するデマを発信し炎上した。
このタレント(以下、彼女)がこの手の話題で炎上するのが日常茶飯事とはいえ、今回はあまりにも酷く、また、幸いなことに世間的にデマ拡散への風当たりも強くなっていることもあり、「謝罪」をする事態へと至った。
さて、ここで「謝罪」としたのには訳がある。
その後の態度が、彼女が謝罪すべき「加害者」としての自覚に欠いたものであったのだ。
というのも、その「謝罪」の後にもなお続く炎上の後に「何度も謝罪したのに」という旨のツイートをし(後に削除)、あたかも自らが「炎上の被害者」であるかのような態度を見せたのだ。
彼女はデマの発信者であり特定の議員の名誉を傷つけた、ほかでもない"加害者"である。
ではなぜ、「自分が悪い」ことを認めず、誠意をもった謝罪をしないのか。
そう、この「被害者面」こそがインターネット右翼たちによる「ネトウヨしぐさ」であり彼らの「やり方のすべて」だからである。
どういうことか。
例えば、太平洋戦争中に日本は朝鮮半島や中国などの人々を労働者や兵士、そして慰安婦などとして利用したことは知られている。
戦後に彼らは「在日コリアン」などとして日本で暮らすこととなったが、一部の日本人は彼らを未だに差別し続けている。
「在日の"せいで"仕事が奪われた」とかそんなロジックの差別で、「在日特権」などという意味不明な言葉まで現れる始末だ。
つまり、被害者を(物理的・心理的に)傷つけたという「自らの加害の事実」に背を向けるだけに留まらず、自らが「被害者」であると主張しはじめるのである。
もう少しわかりやすい例を挙げよう。
いじめの話題になると、インターネット学級会には必ず「いじめられる方にも原因がある」などとほざく輩がいる。
加害者側に"そうさせる動機"を与えた(いじめられるようなことをしたのではないか)、ということを理由にあたかも被害者側に責任があるかのような論調には近いものを感じる。
こんなことでは、論点がズレて話が複雑になる(ように見える)のは言うまでもない。
そしてなんと、この「ネトウヨしぐさ」は、なんと現職の首相が習得しているのだ。
これも記憶に新しいが、憲法改正について安倍首相は国会でこう言った。
「ある自衛官の子供が、『お父さんは憲法違反なの?』と言ったそうです」
それについて、野党からは
「そのソースは何か」という旨の質問があった。
これに対し首相は、
「私が言っていることが嘘だと言うのか」
と言い放った。
もちろん、安倍政権は嘘とゴマカシで構成されているので、この発言は最高の皮肉だし死ぬほど面白いのだが、今回の論点はそこではない。
現政権が"仮に"誠実に運営されていたとしても、情報元を問われただけで「嘘つき」扱いされたと勘違いするのは被害妄想がすぎる。
ソースが不確かな情報を発信しておいて、いざそこを突かれたら「私は攻撃されている」と、被害者として自らをポジショニングするのだ。
今回の彼の言動は、前に挙げた2つの例と異なり具体的な「被害者」を生んではいない。
だが、自らを「被害者」扱いし、論点をずらす姿勢は「ネトウヨしぐさ」そのものだと思う。
首相の幼児性みたいなことが時々指摘されるが、彼の言動は単なる「ネトウヨしぐさ」なのではないかと思われる。
もっとも、ネトウヨそのものが幼児性を孕んでいると言われればその通りなのだが。
しかしまぁ、この程度の手法が、インターネット上だけならまだしも国会でまかり通ってしまうようではこの国の未来は真っ暗だなとどうしても感じてしまう。
ネトウヨしぐさの通用しない国であってほしかった。