そんなに急いでどこへ行く

面白い話ができたらと思っています。

父が死んだ時の話

オチのある話ではないので期待しないでほしい。

あまり自分語りというのはしたくなかったのだけれど、自己紹介も兼ねて改めてこの話をしたいと思った。

 

私は中学1年のときに父親を亡くした。

2011年2月15日

 

我々一家は北海道のとある街に住んでいた。

父親はキリスト教会で牧師をしていた。その時点でかなり特殊な感じはするのだが、母と弟と犬と、そして里子一人と生活していた。

 

私が通っていたのは市内でも評判の悪い中学。

でも、それだからといって私自身に何か不利益が降りかかってきたわけでもなく、友達と一緒にノンビリと過ごしていた。

中学生になったということで、一人で旅行させてもらったりとか小学生時代よりも自由にはなった。

そしてこのまま、この街で高校受験、大学受験をしていくんだろうなと思っていた。

 

そんな当たり前の日常は突然崩壊した。

 

2月15日の夕方。

担任の先生が急いで教室に入ってきた。

「弟君を迎えに小学校まで行ってくれないか」

そう告げられると、わけもわからぬまま追い出されるように帰りのホームルームを抜け出した。

 

とても寒い日だったことはよく覚えている。

 

小学校で数分待ったあと、これまた状況が飲み込めていない弟とともに家へと向かって歩いた。

どんな言葉を交わしたかは覚えていない。

が、私も弟も「ただ事ではない、何かが起こった」という感覚だけは共有していた。

夕陽に照らされる街並みを眺めながら、「きっと降りかかってくる悪い出来事」について思いめぐらせていたのだった。

 

家に入ると、お世話になっている近所の方や教会の方がいた。

父や母の姿はない。

我々兄弟はここで待っていろ、とのことだった。

 

それからの時間は、まるで永遠のような、無限の地獄のような時間だった。

とてつもなく長い時間が過ぎていたような気がする。

何かが起こっていることは認知しているがその詳細がわからない、という状況はこの上ない苦痛なのである。

体感時間ではあるが、一時間半か二時間ぐらいだったと思う。

 

日が傾いてしばらくしてのことだった。

母、そして知り合い夫婦が家へと入ってくる。

 

知り合い夫婦は兄弟と母を向かい合わせにして座らせた。

 

そして母は涙を抑えながら言った。

「父さんが、天国に行きました」

 

そのときの感情はよく覚えていない。

理解していたような気もするし、していなかったと思う。

しかし少なくとも、すぐに泣くとか、そういう気持ちにはならなかった。

あまりにも突然すぎたからである。

 

夜、暖房のついていない教会に父親は眠っていた。

確かに今朝まで目玉焼きを焼いていた父が、箱の中で眠っていた。

眠ってはいるのだが、もう二度と目を開けないのだ。

 

だが、どういうわけかここでも泣けなかったのである。

 

私が最初に泣いたのは、何もかもが終わってからだった気がする。

もう父に会えないこと、何も言えないことが、葬式など一連の儀式が終わってからだんだんわかってきた。

 

最後の言葉なんて何もない。学校へ行く前の挨拶が別れの言葉だった。

ただ、この日だけは普段は「行ってきます」というところを「じゃあね」と言ったことが、いつまでも引っかかっている。

 

それだけではない。

ある日、車で父に「お前は父さんのことが好きかい?」と突然聞かれたことを思い出した。

なんだか照れ臭かったので、はぐらかしてしまった。

もちろん、父親のことは尊敬しているし好きだった。

だが、それを言えなかった。当たり前のことなのに、なんでだろう。

そのことが、今になっても悔やんでいることの一つだ。

 

いろんな「ああ言えばよかった」「こうしておけばよかった」が、落ち着いたころに、忘れたころに一気に押し寄せてきた。

 

我々一家は、父の赴任先でしかなかった北海道を去り母の実家のある東京への引っ越しを、それから二週間の間で決めたのであった。

 

そしてその支度の最中のことであった。

父の死から約1か月後の3月11日。

多くの人の命を奪い、人生を狂わせたあの恐るべき災害が東北地方を襲ったのである。

 

我々は一人の家族の死で、住む場所や生活、そしてその後の人生も変わることになった。

何かが起こった当日には、その後の運命のことなど考える余裕などない。

しかし、徐々に「その後の生活をどうするか」を考えなければならなくなる。

「ある日」を境に生活が変わってしまった大勢の人々の姿を見ると、決して他人事とは思えなかった。

 

そして我々は東京へ引っ越した。

半年前には考えられなかった生活が待っていたのだった。

 

だが、父の死から8年が経ち、その間に出会った人々はかけがえのない存在だし、その間の経験は何にも代えがたいものになっている。

「父の犠牲があったから」みたいな言い方はしたくない。

だが、「狂った運命」から始まる未来も、私自身は案外悪くはないと感じている。

もちろんこれは、全ての人に当てはまるものではないし、震災などの災害の結果として今なお苦しむ人はいる。

それでも、突然現れた「分岐点」を曲がった先にあったのが今の自分だと考えると、いつまでも過去を嘆いていたり「父が生きていたらよかった」とも言い切れないとも感じる。

その後の人生は、ことに進学関係についてはほとんど予想通りのルートを歩んでいないがしかし、その予想外のルートで出会う人や出来事だっていずれは宝物になる。

父の死という経験から得た最大の学びはこのことだと考えている。

 

それでも、後悔はしている。

やはり「ありがとう」とか「好き」という気持ちは、言えるうちに言っておくべきということだ。

どう頑張っても今はもう、伝えることができないのだ。