そんなに急いでどこへ行く

面白い話ができたらと思っています。

河野太郎にブロックされた

2019年7月1日のことである。

私は現職の外務大臣河野太郎氏にツイッターをブロックされた。

 

理由はよくわからないのだけれど、何か気に障ったツイートがあったのであろう。

 

 

可能性があるのはこの辺のツイートだと推測するが…。

それにしてもすごいエゴサ*1スキルだ。というのも、私はブロックされる以前には「河野太郎」という名前すら出していないのである。

河野太郎氏といえば、ユーモラスなツイートがたびたび話題になる。

今年、大阪で開催されたG20の際には「タローを探せ」と称して会議場の写真をアップした。公式アカウントながらもツイッターの一般ユーザーに対しても気さくに接する彼は多くの人に親しまれている。

エゴサ自体はよくしているのだろう、一般ユーザーに絡むときも自身へのリプライのみならず、自身の名前の入っているツイートを探し出し積極的に絡みに行っている。

 

そんな彼であるが、しかし、なぜ私をブロックしたのだろうか。

私のツイートで彼について言及したものは上の二つぐらいである。

確かに、彼の言動を肯定するものではない。だが、単純に気に障ったことを言ったからだとしたら問題があるのではないか。

これは「国会議員のあり方」から問い直すべき問題だと思う。

 

まず、国会議員とは何か。

国の立法府である「国会」に所属し、議会で議決に参加する権利のある人。

あえて定義すればそんなところだろうか。

 

さて、今回話題にしている河野太郎氏もまた衆議院に属する国会議員である。

議院内閣制において、行政権の主体である内閣は内閣総理大臣国務大臣とで構成される。内閣総理大臣は国会議員の中から指名され、国務大臣は総理大臣の指名により任命。その国務大臣過半数以上は国会議員であることが求められる。

 

そんな国会議員が「全国民を代表する選挙された」存在であることは憲法43条に規定されている。

さらに国会議員は特別職の公務員という扱いになる。

公務員は「全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」とこれまた憲法の15条に規定されている。

 

確かに政治家たる議員たちは、特定の地域や利益団体から立候補するし、選挙の際には彼らの声を議会に届けることが期待されている。

だが、彼らが「議員」になった日には、自分を選んでくれた「一部」のために働くのではなく「全体のため」に働くことが要請されるのである。

 

その「全体」であるこの日本には当然だが、自分を選んでくれなかった人たちもいる。自分を選んでくれなかった人たちとは意見も異なるだろうし、考え方も合わないかもしれない。

だが、そんな意見の異なる人間も同じ日本国民なのだ。

 

ブロックすること自体が問題なのかというと、そうではないと思う。

現実にツイッターの機能として存在しており、例えばトラブルなどを避けるために利用する分には全く問題がない。

だが、河野太郎氏が「外務大臣として」「国会議員として」アカウントを利用しているなかで、一国会議員として「反対の国民」の声をシャットアウトしてしまうその態度が問題なのだ。

百歩譲って、私が彼を誹謗中傷したならば理解はできる。

だが、私は「河野太郎」という名前すら出していないのだ。

こちらが彼の行動について少し言及しただけでブロックというのは、彼が全く国民の声を聞く意思がないことの現れだといえる。

 

河野太郎氏を肯定する国民だけが国民なのではない。

国民には様々な考えの人がいる。そこに「政治」が生まれることで、民主的な国家は成立するのだ。

もしそこまでのことを考えずにブロックしているのなら、かなり浅はかな人だと言わざるを得ない。

 

7月の参院選の応援演説では、安倍首相にヤジを飛ばした人が警察に囲まれる事態が発生したし、8月に入ると大学入試改革の問題について柴山昌彦文科省大臣にヤジを飛ばした学生も排除された。

 

この政権では、「自分に反対する国民は国民ではない」と言わんばかりに「排除」が続いている。

私がツイッター河野氏にブロックされた7月1日から2か月が経つ。

それからの間で物理的かつ暴力的な排除が公然と始まり、いよいよ我が国の「言論の自由」の死は近づいている。

*1:エゴサ―チの略

6月21日 再編シンポの違和感

目次

  1. はじめに
  2. 噛み合わぬ議論
  3. 本当に議論すべきこと
  4. おわりに ーこの問題を「イデオロギー」化してはならないー

 

1.はじめに

2019年6月21日

静岡大学の再編統合問題に関しての学内シンポジウムが開催された。

先月も同様のシンポジウムが開催されたが、今回はその学内バージョンということで、広く学生や教職員の参加が期待された。

今回は特に、浜松キャンパスにもSkypeを通じて生中継された。それもあってか、今回は両キャンパス合わせてこの問題に関心のある学生数十人が参加したようだ。

理学部の坂本先生、塩尻先生、農学部の本橋先生の三名が問題について解説し、各々の議論を展開した。

約2時間であったが、非常に濃い時間であったと感じる。

 

さて、私は今回参加してみて感じたことがある。

それは、人々の意識の違いと「議論」の質の問題である。

そこに「違和感」があったし、今後はそれを克服した議論が必要だと感じた。

どういうことか、シンポジウムでの「議論」を踏まえて考察したうえで、今後の議論のあり方を提言できたらと思う。

 

まだきちんと整理できていないのだけれど、なるべくわかりやすく言語化するよう努めたい。

 

なお、この文章は(根拠に基づいていない)あくまでも個人の感想である。

静岡キャンパスの学生の総意ではないし、この感想に対して異なる感想を抱くこともあろう。

さらに、ここからは「批判」も含まれる。これは、特定の個人や集団を貶め、また、彼らが「別の意見」を持つことを妨げるものでは一切なく、あくまで私の「一個人の一意見」を表明するに過ぎない。

 

見る方によっては不愉快な思いをしてしまう可能性もあり、その点については大変申し訳なく思う。

特に、質疑応答におけるコメントについて言及したが、コメントの主の個人の人格を攻撃する意図は一切ない。あくまでこの「議論」のなかでの反論可能な「批判」として引用させていただいた。

 

それを理解した上でお読みいただければと思う。

 

2.噛み合わぬ議論

 今回のシンポジウムで感じたのは静岡と浜松の「意識の差」である。

端的に言ってしまえば議論と呼ぶにはあまりにも「噛み合っていない」のである。

その理由について私なりに考察したので述べていく。

 

開始してしばらく経ってから気づいたのだが、浜松の学生を中心にツイッターで「#再編シンポ」というタグで実況されていたようだ。

リアルタイムで見ることができ、大変興味深かった。

正直、そうやって実況されていることがわかっていれば、もう少し内容を整えたうえでお話すればよかったと思った。まぁ、それはいいとして。

 

ここからは、このタグやシンポ後半の質疑応答を見た感想だ。

 

今回のシンポジウムの流れとしては、先述の三名の先生方のお話が1時間ほど続き、その後質疑応答の時間を持つというものだった。

基本的に静岡キャンパスには「再編統合反対派」のいわばレジスタンス的な立場の教職員が多い。それゆえ、お話自体は「反対」がベースに進められているように思えるのは事実であろう。

パワーポイントでの解説もあった。先生方が一生懸命作られたのを承知で指摘するが、私自身にとってもそのスライドの文字サイズや図表などが多少わかりにくい部分もあったように思える。

さらに、先述のとおり今回はSkypeで浜松と生中継していたが、そのSkypeでの中継もスクリーンを直接写すものであったために上半分が見えないなどのトラブルが続いた。

音声もきちんと拾えていたのかも疑問ではある。

 

さて、このようなシンポジウムの運営方法について、ツイッターや質疑応答において浜松の学生たちはなかなか厳しい指摘をしている。

何より、このシンポジウム自体が静岡市で開催されており浜松市で開催されないことはおかしいのではないかとの指摘もあった。

確かに、関心が強く「反対派」の意見に同調しがちなのは静岡市側である。この再編統合案で一方的に「不利益」を被るのは静岡市側だけだからである。

そのような、いわば「ホーム」でばかりこうした集まりを開催するのはアンフェアだ感じるのは不自然なことではない。

また、学務情報システムなどを通じた周知がなかったことについての批判もあった。確かにこのシンポジウムの存在はネットや学内の掲示板の情報を通じたものであり本当にやるのか、という感じではあった。

 

だが、議論の本質は「シンポジウムのあり方」なのだろうか。いま議論すべき点はそこなのだろうか。

 

シンポジウム、ひいては大学再編に関心のある先生方は「インフォーマル」な存在である。つまり、授業や講演会と違い大学オフィシャルの活動ではなく、いわば非公認サークルのようなものである。

周知方法についてはインフォーマルな組織である以上はネットや掲示板での告知ぐらいしかできないので最大限の努力だったと思う。

 

 静岡大学の「静岡ー浜松」関係では、例えば入学式が静岡市で行われるなどの点からも「不公平感」があるようにも思えるし、何より、静岡大学の本部は静岡市駿河区大谷836である。

このような静岡大学の(見かけ上の)「静岡中心主義」的なあり方を見ていると、このシンポジウムに対してはそれに当てはめての批判があったように思える。すなわち、「浜松はライブ配信だけなのか」というような意見からも、(本人が意図したかは別であるが)「やはり静岡中心なのか」という旨の批判だったのだろうと推測する。

しかしながら、先述の通り、この問題において「不利益を被る」のは静岡キャンパス側であり静岡県中東部のみである。*1

 それゆえに、浜松市よりも静岡市の人間のほうが関心があるし、問題意識を持っているのは圧倒的に静岡市側である。

学長の案に「待った」をかけるべきと考える人間が多いのが静岡市側である以上、静岡での開催になってしまうのは致し方ない部分はあると感じる。だが、もちろん、浜松キャンパスの声を聴くという意味において浜松キャンパスなど県西部でもシンポジウムは開催すべきだと思う。

 

何度でもいうが、いずれにせよ、このシンポジウムはインフォーマルな「非公認サークル」のような集まりである。

 

確かに「反対意見」のほうが強調されているようには見える。

だが、現在の状況は、学長をはじめとする「国立大学法人静岡大学”オフィシャル”」という強大な権力を持つ組織が「賛成意見」の立場で強引に推し進めている、というものである。

言い方は悪いかもしれないが、坂本先生や本橋先生をはじめとする「再編統合反対派」の力は圧倒的に弱いのである。

 

それゆえ、そうしたインフォーマルな集団を叩いたり揺すったりしてみても、何も落ちてこないことを理解したほうが良い。

 

坂本先生や本橋先生はあくまで「中心人物」であるに過ぎず、彼らを「オフィシャル」と同一視して「あれが足りていない」「これができていない」という旨の批判するのはお門違いである。 

できていない点があるなら事前に指摘したり、「一緒に作り上げていく」という姿勢を持つべきだと思う。

 

また、本橋先生に対して「なぜ止めなかったのか」などという質問もあった。個人的には、そりゃあ当時は副学長という立場であって”体制内”の人間なんだし学長様に真っ向から反対することは構造的に不可能だと思うのだが、と思った。

だが、そのように「反対派」というインフォーマルな組織の中心で、いわば矢面に立っているだけの立場上「弱い」人々が、まるで「不祥事を起こした会社のトップ」のような構図で非難される様はなんとも異様な光景であった。

 

静大当局」よりも構造上は弱くて脆いインフォーマルな組織たるシンポジウム実行委員会に対して「誠意」を求めるのなら、それと同じレベルかそれ以上に、強行的な姿勢を取る学長に「誠意」を求める必要がある。

 

静岡キャンパスの教員から「加計学園と一緒にするのは~」という質問があった気もするが、私自身の能力不足によりよくわからなかったので今回は言及しない。

 

シンポジウムでの質疑応答が「シンポジウムの運営について」に関するものであったり、ツイッターなどでは「資料や話のクオリティ」に関する批判も多かった。

もちろん、パワポの画面をカメラで写したりする原始的なやり方は改めるべきであるが、それへの批判は二次的なものである。

 

やはり、静大再編統合についての前半の議論を踏まえた質疑が多ければより有意義なものとなったと感じる。

例えば、「競争力低下の恐れがある」という旨のお話に対する反論であるとか、「学長の強行的な姿勢」についてどう思うか、というものだ。

期待していたのは「シンポジウムの中身」への批判であったのだが、悪い言い方をしてしまえば「揚げ足取り」のようなものに終始してしまっているのが残念だった。*2

 

こういうわけで、「噛み合っていない」と感じたのだ。

3.本当に議論すべきこと

混沌を極めたシンポジウムであったが、その「議論」をより生産性のあるものへと昇華させることが急がれる。

 

6月21日の学内シンポジウムは私にとっては、いわば「開催することに意義がある会」という次元だったと感じている。

議論というよりも、状況の説明をするということに関しては主観が入っていたとはいえ十分に行えていたとは思うし、そもそも会自体の開催はそういう趣旨だったと思う。

だから、開催できたことや多くの人が参加したことは大きな意味があったと思う。

 

そして、これからはその「次の次元」に移行していくべきであると考える。

浜松の学生が、「学生が議論する機会を設けるべき」と意見していたが、まさにその通りである。*3

 

私が考えるのは、内容をより深いものにすべきだということである。

学生や教職員が現在の意識(あとは知識、理解)のままで「議論」したところで、単なる水掛け論にしかならないのは目に見えている。

それでは、「議論」をより生産性のあるものにするにはどうしたらよいのだろうか。

 

まず何より「問題の本質」について議論することである。

そして、その本質について複数の論点を設定したうえで、理解を深めることが第一歩だと考える。

 

例えば、賛成や反対はあるだろうが、あなたなら以下の質問にはどう答えるだろうか。

  1. 静岡大学浜松医科大学の法人統合に賛成か反対か。その理由は何か。
  2. 静岡大学の再編に賛成か反対か。その理由は何か。
  3. 現行案のまま再編統合が進行したとして、浜松側のメリットは何か。
  4. 現行案のまま再編統合が進行したとして、静岡側のメリットは何か。
  5.  「大学」の存在意義は何か。
  6. 5.での「存在意義」を実現するためには、現行案が唯一の方法なのか。
  7. (あなたが静大生だとして)「静岡大学」というブランドについてはどう考えるか。また、アイデンティティはあるか。
  8. (あなたが静大生だとして)何のために大学に入ったのか。
  9. 学長が強行的に現行案を推進していることについてどう考えるか。

今思いつくのはこんなところであるが、何かさらに思いつけば追加していきたい。

私の過去記事で恐縮ではあるが、以前書いた記事で「論点」をまとめておいたので考える際には参考にされたい。jimetravel.hatenablog.com

 何度も言っているが、このような「緊急事態」で議論するなら「生産性のある議論」にすべきだと思う。

「水掛け論」に生産性があるとは思わないし、そのためには「知識」に基づいた「意見」と「その理由」が必要だ。

 

今回のシンポジウムは、「反対派決起集会ではない」というスタンスであったが、基本的に「声を上げる人」が「反対」の立場を取っている以上は反対に傾いたものになるのは自然なことである。*4

ニュートラル」という言葉にどれほどの意味があるのかわからないが、一度、両方の立場が集まる会を開いたら良いのではないか。

場所は、静岡市浜松市の中間に位置する掛川市菊川市にしたい。

 

今回のシンポジウムで知ったのは「浜松にも関心のある人々が大勢いる」ことであり、それゆえに地域的・立場的に中立的な集まりの開催があればよいと感じた。*5

 

私自身は、この再編統合問題を通じて、静大の今後を考えることはもちろん、「大学とは何か」そこから発展して「大学で学ぶとは何か」を考えることができると思うし、皆がその意識を持つことを期待している。

 

大学生が、「大学で学ぶ意義」を考えられないのなら、彼や彼女の学び自体が砂上の楼閣になってしまうと私は考える。

 

「大学のかたち」が変わることは決して安易に進められるべきものではない。

中には「反対派」や「静大再編について関心のある人々」の動きを冷笑する人もいるようだが、この問題の”結果”はステークホルダーたる私たち静大生に跳ね返ってくる。

 

切実に、「自分事」として真剣に考えてほしい。

 

4.おわりに -この問題を「イデオロギー」化してはならない―

 さて、ここまでシンポジウムに抱いた違和感について言及した。

そのうえで、この問題が今後「どう進んでいくか」について少しは考えられたかと思う。

 

私が最後に強調したいのは、

静岡大学をより良い空間にしたい」という思いは皆一緒である、ということである。

そこには静岡キャンパスと浜松キャンパスの違いはない。

この問題に関心のある学生も教職員も、「静岡大学がどうあるべきか」を考えていることに変わりはない。

 

だからこそ、「賛成派の浜松」「反対派の静岡」という「二項対立」のいわばイデオロギーにしてはならないと私は強く感じる。

 

もちろん、「みんな仲良く同じ意見」になることは私は良いことだとは思わない。

多様な人が共存するなかで、多様な意見がフラットに交わされることが民主的な社会にとっては望ましいことといえる。

だが、「静岡だから敵」「浜松だから敵」とするのは違う。

根拠に基づいて互いに意見を交わすことが理想的である。

 

現行案に賛成でも反対でも構わない。

だが、学生を蚊帳の外に置きステークホルダーとみなさず、強行的に進める学長の姿勢の「被害者」であることは、静岡の学生も浜松の学生も同じである。

学長には誠意が必要だと思う。

 

確かに、短期的な目で見ると現役の静大生にとってはほとんど関係のない問題だろう。

だが、これから数十年、ひょっとしたら百年以上続いていくであろうこの大学の、「未来の後輩たち」への責任は果たしていくべきだ。

 

この再編統合案が結果的に「良い」影響をもたらすか「悪い」影響をもたらすかは、未来にならないとわからない。

だが、どのような状況になるにせよ、決定プロセスに関する問題については、学長の安易な考えで進められることに断固として反対すべきである。

 そういう意味において、本来あるべき対立は「静岡と浜松」ではなく、「学生・教職員と学長」だ。

 

「静岡」と「浜松」の”意識”を分断しようとする学長の姿勢が私にとっては許せない。もしも再編統合をする未来になっても、それに煽られて静岡と浜松が「喧嘩別れ」をすることはあってはならないと感じる。

 

大井川の向こう側は「敵」ではないのだ。

 

おわりに

今回のシンポジウム開催のために準備などで労された坂本健吉先生、本橋令子先生、塩尻信義先生ならびにコーディネーターの川瀬憲子先生を始めとする「大学再編を考えるシンポジウム実行委員会」の皆さま、浜松においてセッティングをされた浜松キャンパスの先生方*6、そして、参加されたすべての皆さま、本当にお疲れさまでした。

また、発言の時間をいただいてありがとうございました。話が下手ですみませんでした。

 

それぞれ立場・意見は違うかもしれませんが、

共に静岡大学をより良い空間にしていきましょう。

 

駄文・長文失礼いたしました。

*1:学長案がこのまますんなり通ることで浜松市側にはメリットになるかもしれないが、静岡市側にはメリットがないということ。そして学長は再編統合による静岡側のメリットを説明していないし、それを含め批判されている

*2:むろん、時間の制約などもあったから仕方ないといえば仕方がないのだが。

*3:もっとも、そういった会こそ「学生が」主催する必要があると思うのだが。

*4:これは一般論だが、そもそも賛成派は「何もしなくても事態が自らの想定する通りに動く(現状維持)」ので声を上げる必要がない

*5:本当は、こんなこと言うくらいのだから私が主催したいところなのですが、現在院試前の4年生なので中心的に動けないのです、すみません。

*6:お名前を存じ上げず申し訳ございません

「選挙があるのにデモをするのは意味がない」は本当か

「香港でのデモは正しい」けれど…?

 

 

 

 

香港で「逃亡犯条例」に対する反対デモが激化していた。

中国本国への容疑者引き渡しを可能にするこの改正案については、香港にいる中国に対して反感を持つ者を犯罪者として送還することを可能にする、として反対の声が沸き上がり多くの人々を巻き込んだデモに発展した。

ご存じの通り香港は一国二制度をとっている。行政の長である行政長官は、産業界の代表や議員からなる選挙委員1200人による投票で選出され、中華人民共和国により任命される。*1

さらに、その選挙委員の選出は香港の一部の住民にのみが可能であり「間接制限選挙」であるといえる。

これについても香港では度々反対のデモが起こっており、5年前には民主的な選挙制度を求めた「雨傘運動」が展開された。

さらに、このデモ隊に対して香港警察が排除行動に本腰を入れているさまがインターネットなどを通じて世界中に発信されることとなり、「天安門事件の再来」とまで言われる状況となっている。

 

さて、こうした香港の状況については世界中から応援する声が根強い。

(もはや単なる)権威主義体制を敷く中華人民共和国の脅威は、香港や台湾のみならずアジア各地の民主主義国においても共有されている。

この日本でも先日、香港の動きに共鳴して東京の渋谷でデモが行われたようである。 

*2

香港のこうした状況は思想の右左を問わず手放しで応援される一方、「便所の落書き」もとい言論のプラットフォームたる我が国のツイッターではデモ行動の「正当性」が問われている。

以下、主要なツイートについて要約したものを引用する。

日本のデモと香港のデモは別物だ。香港には選挙がなく*3デモでしか民意を示せない。デモ隊に対して非人道的な弾圧が行われており、人口700万の都市で百万人単位のデモが起きており、一方で日本は首都圏に3000人しか集まらない。

とか、

民主主義を守るとかいいながら選挙のない国とある国のデモを同列に語るって民主主義を否定してるに等しい。

とか、

不満があるなら選挙で有権者が合法的に変えられるから民主主義国家で暴力的デモをする必要がない

といった意見が、有力なネット論者の間でなされている。

一見するとなるほど、と思えかもしれないが果たしてこれは本当なのだろうか。

「選挙のある国」でのデモや市民運動の意味と必要性について考えたい。

 

民主主義において「選挙」が果たす役割

民主主義民主主義とは言うが、民主主義っていったい何なのだろうか。

民主主義について少し考え、選挙が民主主義において果たす役割について説明する。

 

民主政治と呼ばれるものには大きく分けて「直接民主主義」と「間接民主主義」がある。

近代以降において民主主義とは「間接民主主義」を指しているものといえる。間接民主主義は代表制民主主義と呼ぶこともでき、「代表」たる議員が私たち市民に代わって立法活動を行う。

さらに、自由主義との関係では、それと結合した「自由民主主義」という体制であるといえる。

一方、かつての古代ギリシアでも民主制が発達していたが、市民が一つの場所に集まったうえで直接議論し立法活動を行う「直接民主主義」の形であった。

市民が直接議論することができるのは間接民主主義よりもはるかに優れているけれど、人数が増えれば実現は難しくなるし、少人数のコミュニティでのみ実現が可能な形といえるだろう。

 

さて、間接民主主義になくてはならないのが代表たる議員であり、その選出を行うのが選挙という営みである。

選挙においては市民は候補者をいわば「代理人」とみなし、自らの利益を代表すると考える者に票を投じて議会へ送り込む。そこでは人民の意思を票という形で表すことができるし合理的な方法であるといえよう。

 

だが、選挙、ひいては代表制民主主義は「ベスト」なのだろうか。

基本的に選挙は、単純に言えば「票を多く得た者が有利」になるものである。政治活動は、(地方議会などはそうとも言い切れないが)個人の力だけでは難しいから、政治集団としての政党が現れることになる。

 

そのようななかで、政治家はなるべく多くの票を得るために、自らの所属する利益集団はもちろん所属する者の数の多い社会集団の選好に合うような政策を打ち出していくことになる。

例えば、昨今シルバー・デモクラシーと呼ばれる現象が生じているのは、高齢化のために高齢者の「数」が多く、高齢者にウケる政策を打ち出すことでより多くの票が得られるためである。 

一方、社会のなかの利益をまとめ上げ、政党や政治家が「競争」し合うことにも政治のダイナミズムはある。

前の選挙で当選し議員となった政治家の「業績」によって、次の選挙で彼や彼女に入れるかを判断する投票(業績投票)もあるし、政治家にとって「選挙での当選」がモチベーションになるから為すべき職務に励むことにはなるだろう。そうした点では選挙の価値を見いだせる。

 

「多数」が優先されるシステムでは確かに「より多くの人」が好む政策を選択することになるかもしれないが、そこではその政策を「好む」と思わない人の意見は反映されないこととなり、場合によっては彼らの権利を侵害することにつながる。この状態をトクヴィルは著書『アメリカのデモクラシー』のなかで「多数の暴政」と呼んだりした。

むろん、政党などの集団は社会のなかの様々な利益をまとめ上げ 競争し合うことも政治のダイナミズムといえる。

「人民の人民による人民のための政治」とは言うが、本来「人民」という言葉は極めてヴァーチャルなものである。

例えば、今あなたの隣に住んでいる人とでさえ完全に意見が一致するわけはないのに、国全体のレベルで意見が一致し同質的な集団になることはあり得ないだろう。

もっとも、「上から」の力により無理やり「同質化」させた国家体制もあり、それは全体主義と呼ばれたりもしたのであった。悪名高いナチス・ドイツも選挙によって登場した体制である。  

 

複数の選択肢から選ばれた「一つの答え」は、あくまで「多くの人」により選択されたに過ぎない。ほかの選択をした人(死票になる)や、選択自体をしなかった(棄権)をした人だっていただろう。つまり、現在の日本の国会議員は全国民から選ばれたというわけではないのである。*4

比例代表制が導入され小政党の候補者が選出される可能性が現れてはいるものの、「選挙で選ばれた人」がその事実だけをもって、それが彼や彼女への批判を妨げる理由にはならないだろう。

ルソーは「イギリス人は選挙の期間は自由だが、選挙が終われば奴隷の身分となり、なきに等しい存在となる」と指摘しているが、本来そうであってはならないはずなのである。

 それでは、現代において「選挙と選挙の間」に「民主主義」を実現する方法はないのだろうか。

「デモ」と「選挙」は矛盾しない

 一般有権者は、政治や経済など複雑な事柄を理解できないので有権者が公共の利益に合致する決定を合意によって導くよう求めるのは無理である、としたのはシュンペーターである。

彼は人民の能力という点に着目し、市民に合理的な決定をする能力がないとする「エリート主義的民主主義」を展開した。デモクラシーとは「人民の統治」ではなく、「政治家の統治である」としている。

もっとも、こうした発想自体は古代ギリシアプラトンも述べており、民主政治それ自体に対しても懐疑的な者はいつの時代も存在していたのだ。

 

さて、少しズレてしまったが、こうしたシュンペーターらのエリート主義的な考えを批判し「参加民主主義」というアイデアを理論化したのがぺイトマンだ。

イトマンによると、もはや市民はその知識水準も向上しエリートによる支配を一方的に受ける存在ではなくなったために政治過程は今や多様な市民の声を吸収できなくなっているのだという。

市民の参加により政治社会は安定化するし、さらに、その過程において個々の人間に対する教育効果もある、としている。

自由民主義体制が個人や個人的利益を中心とした「競争」で成り立っていることから、「薄い民主主義(シン・デモクラシー」になっていると指摘したのはバーバーである。人々が利己主義に陥ることで互いの信頼が揺らぐことで社会が不安定になり、「公共の利益」とか「シチズンシップ」という考え方が成り立たなくなる恐れがあるのだ。

それゆえバーバーは、市民が政治に参加できる仕組みを作るべきだと主張した。

イトマンとバーバーはともに、市民が自分の利害だけでなく広く社会のさまざまな利害も考慮に入れるべきだとしている。 

市民の直接参加は、「利害」と「競争」を軸に置く自由民主主義が拾いきれなかった政治課題の回収をも可能にしているのである。

 

社会のなかの特定の利益を代表する者たちが選挙を通じて競争する点にも政治のダイナミズムがあることは先述の通りである。

だが、やはりそうした競争のなかではやはり利己主義に陥ったり、そもそも競争の「議題」として乗らない問題も出てくる。

さらに、その競争と競争の間に新しい課題が浮上することもあるだろう。

政治家が、社会に浮上した課題を課題として認識することで「政策」が始まる。

デモや抗議活動は、市民が直接政治的な発言をするという参加民主主義としての価値と、政治課題の存在を発信し次の選挙で「争点」となるように仕向ける機能があるといえる。

そして課題を課題として認知した政治家は、次の選挙でその課題についての考えや解決策を彼や彼女なりに表せばよい。

 

普通の日本人たちは「デモじゃなくて投票すればよい」とは言うが、デモと選挙はある意味でセットの存在と考えることもできるだろう。

おわりに 

ー香港のデモはよくて日本のデモがダメ、な人たちー

以上の通り、現代の代表制民主主義の社会においては選挙という営みとデモという行動は互いに矛盾せずに存在しうる。

だが、どういうわけか「日本は選挙があるからデモなどすべきでない」「政治は選挙(のみ)で変えればよい」という議論は常にネットのあちこちに転がっている。これに対する反論(にもなっていないような当たり前のことではあるが)は上で述べた通りである。デモと選挙は別々の存在ではないし、どちらも民主主義社会において必要な「自己統治」のための手段といえる。

 

ではなぜ、日本でのデモは「ダメ」なのだろうか。

 日本では年金が今まさに「消滅」しようとしている。あろうことか、国民に対して日本政府が「自己防衛」をお願いする段階に入っている。

これに対し国民(それでも参加者はたったの数千人なのだが)は「年金返せデモ」と称して都内を行進している。

さらに、この香港での動きに対し、かつて特定秘密保護法制定時に国会前で活動していた「SEALDs」のメンバーが都内で抗議活動を行っているようだ。

ほかにも、沖縄への米軍基地設置を強行した政府への抗議なども日夜行われている。

さらに、ネット上では女性の性犯罪被害に関する「#Metoo」運動が世界的に広まっているし、パンプスの事実上の強要に反対する「#kutoo」運動も国内では展開されている。

 

これらの動きについて、冷笑系アカウントをはじめとする「普通の日本人」の多くは極めてドライな反応をするのである。具体的な例は、上で引用した通りである。

なお、「香港のデモは非暴力的・日本のデモは暴力的」という話だって、我々がその場にいてすべてを見ていない以上それはフレーミングされた情報でしかない。

インターネットを介して見える情報とて、やっぱり限界があるのである。

 

社会運動に対して冷笑的な態度を取る者は、彼や彼女自身が、自らが現実主義者であるというスタンスを取っているから現状の肯定に絶対的な価値を置いており、社会の価値観の変容というものを気持ちよく思わないのだろう。また、そうとまではいかなくても、そういった活動の後ろ指を指すことにある種の快感を覚えているのかもしれない。

あくまでも憶測なのでこれ以上は控えるが、少なくとも、現行の社会体制により不利益を受けている人間がそれを変えようと動くことを、直接的な議論をしようともせずただ「現行体制を受け入れろ」と言うことしかできない(声がやたらとでかい)人間たちが、これまでの社会の変化にとって足かせとなってきたのは事実だろう。

 

アメリカの公民権運動は、黒人のローザ・パークスがバスの座席を白人に譲らなかったために「人種分離法」違反で逮捕されたことを発端に始まった。

そこから全米を巻き込んだ活動となった公民権運動の成果は、ご存じの通りかと思う。

彼女が「現行体制を受け入れ」ていたら、もしかしたら黒人への差別は平然と行われていたのかもしれない。

 

誰かが動かなければ社会は変わらない。

むろん、そこに選挙という仕組みが媒介することで変化することもあろう。

だが、選挙は万能薬ではないし、その「競争」のあり方にも限界がある。

だからこそ、デモや市民運動など市民の直接的な参加による政治活動も一つの形としては存在すべきだと思う。

 

香港のデモを肯定し日本のデモを否定する人間は、結局、「中共(大陸中国)」に対する憎悪がその発想の根源にある。

そんなレイシズムが「香港加油」の原動力にあるなら、それは民主主義に対しても香港に対しても失礼なのでただちにやめていただきたいと思う。

やめろ。

 

【参考文献】

川出良枝ほか『政治学東京大学出版会(2012)

・久米郁男ほか『政治学(補訂版)』有斐閣(2019)

・川崎修ほか『現代政治理論(新版)』有斐閣アルマ(2016)

*1:https://www.asahi.com/topics/word/%E9%A6%99%E6%B8%AF%E8%A1%8C%E6%94%BF%E9%95%B7%E5%AE%98%E9%81%B8%E6%8C%99.html

*2:「香港加油!」 デモに連帯して渋谷のハチ公前広場で抗議集会https://mainichi.jp/articles/20190614/k00/00m/040/009000c

*3:上で述べた通り、完全に「無い」というわけでもない

*4:逆に、政治家は支持者だけでなく日本国民全体の奉仕者という存在になるのではあるが

静大浜医統合再編の何が問題なのか

 

  1. はじめに
  2. 問題点の整理
  3. 問題の背景
  4. おわりに

 1.はじめに

 2019年3月29日、静岡大学(以下静大)と浜松医科大学(以下浜医大)は運営法人の統合と大学再編に合意した。

内容としては、2021年度をめどに「静岡国立大学機構」を設置すること、静大浜松キャンパスと浜医大による浜松市の大学、静大静岡キャンパスを中心とした静岡市の大学とに再編し22年度からの入学者受け入れを目指す、というものである。

目的としては、新たな研究・教育分野の開拓と人材育成、経営資源の効率的運営などを掲げている。

 しかしながら、静大静岡キャンパスにおいては教員や学生・卒業生有志による反対が根強い。

石井学長が唱える現行案に反対する教職員らの請願書によると、法人統合によるメリットやデメリットの適切な根拠が示されていないことや、石井学長と他の教職員らとのコミュニケーション不足などが反対理由として挙げられている。

また、再編後の静岡地区のビジョンが見えにくいことや、ブランド力低下への懸念、拙速な進め方に対する疑問といった声も少なくはない。

 ツイッターなどSNSを中心に「#静大浜医統合再編反対」タグのついたツイートがなされたほか各種メディアでも報道され、静大生や静大教員のみならず全国的に話題にはなっているものの、何が起こっているのかわからないという人もいるだろう。

今回は、この問題について問題の所在とその背景について言及しながら、まとめていきたいと思う。

 

 2.問題点の整理

 静大と浜医大は2019年3月30日に法人統合と大学再編に合意した。

現在は「国立大学法人浜松医科大学」と「国立大学法人静岡大学」がそれぞれ存在しており、前者は浜医大、後者は静大の静岡・浜松両キャンパスを運営している。

合意が締結された計画では、これら二つの法人を「静岡国立大学機構」という一つの法人へと統合し、静大浜松キャンパスと静大静岡キャンパスとを分離させ、静大浜松キャンパスと浜医大との新大学、静大静岡キャンパス中心の新大学という二つの大学を一つの大学法人のなかで運営することとされている。

これは、一法人で複数の大学を運営できるようにする「アンブレラ方式」で、名古屋大学岐阜大学との間でも18年末に新法人設立の合意がなされた。

両大学を維持したまま法人統合しない理由について石井学長は、「静岡と浜松とで独立的に運営したいという意見があった」とし浜医大今野学長は「多くの医科単科大学が総合大学の医学部になったが成功しているとはいえない」としている。*1

 それでは一体何が問題なのか。大きく分けて二つあると考えられる。一つはその内容について、もう一つは決定プロセスに係る問題である。

 

①再編後の静大のビジョンについての不透明性

 先述の通り、再編後は静大静岡キャンパスと浜松キャンパスが分裂し「別の大学」になることとなる。

名称などは現段階で決定していないが、少なくとも大学が変わるのだから現在の浜松キャンパスにおいては変更がなされることにはなるだろう。

静大の歴史は70年にも及ぶ。静岡高等学校、静岡第一師範学校、静岡第二師範学校、静岡青年師範学校、浜松工業専門学校という5つの学校が戦後の学制改革に基づき統合され1949年に創設されたのが「静岡大学」である。

静岡と浜松という地域的な違いや、それまで歩んできたそれぞれの歴史の違いを乗り越え、この70年間で地域だけでなく全国や世界にも通用する「静岡大学ブランド」を確立させたのであった。

ところが、再編がなされれば静大工学部と情報学部は静大ではなくなる。異なる大学として歩み始めることはすなわち、この「静岡大学ブランド」の終焉を意味するのである。

企業活動の世界では「ブランド」は財産の一つとしてみなされている。

ブランドという「看板」と本質とは別の次元の議論かと思われるかもしれないが、ブランドにも価値はあり、やがてはその教育や研究の質にも影響しうるものといえる。

 また、静岡キャンパス側のビジョンが提示されていないという批判もある。学長らは浜松における医学・工学のコラボレーションによる研究活動の質の向上を訴えているが、その一方で、切り離されることとなる静岡キャンパスの今後についてのビジョンが十分に示されていない。

静岡に残されるのは教育学部、理学部、農学部、人文社会科学部の4学部のみであり、競争力という点では不安が残る。

現在は静岡の4学部、浜松の2学部を合わせた6学部の総合大学として運営されているが、総合大学でなくなることにより国からの運営交付金の削減やランキングの低下、受験者数の減少などが懸念される。

さらに、教養科目や研究活動において静岡・浜松間でのやり取りがあったが、別大学になれば手続などが煩雑になる恐れがある。

 これらの点から反対が論ぜられており、しかしながら、これらの懸念に対して未だ学長からの回答はない。

②決定プロセスの問題

 石井学長は、多くの反対の声を「感情論である」と一蹴している。確かに、運営の合理化や効率化は望ましい点もあるだろう。少ないコストで最大の成果が得られればこれ以上に良いことはない。

この再編統合もそうした「改革」の流れのなかにあり、石井学長らをはじめ推進派にとって先述の「ブランド」などは「感情論」としか見えないのであろう。

しかし、そうした強行的な姿勢や、他の意見の尊重という態度が見られないこの有様こそが批判されるべきであるといえよう。

石井学長は「反対派の声も聞き進めていく」という旨の発言を何度もしている。だが、「再編統合ありき」の決定プロセスのなか、十分に練られていないこの再編案をもって3月の合意に至っている。

こうしたプロセスこそ、反対派が「拙速である」と評している所以である。

 さらに、大学当局はこの問題について学生に対する説明を一切してこなかった。合意後、「合意した旨」についての情報は公式ホームページに掲出されたものの、学生が日常利用する「学務情報システム」においてそうした情報は一切出ていない。*2

それゆえ、3月当時学生はこの問題についてメディアやSNSを通じてのみ知ることができ、さらに、問題それ自体を知らない者も決して少なくはなかった。

これは、学長が学生をステークホルダーとして見なしていないことの現れであり、この姿勢は大いに問題があるといえるだろう。

 

 3.問題の背景

 ここまで、再編統合問題における現状の問題点について論じてきたが、この問題に至るにあたってはその背景となる制度の問題や歴史といったものがある。ここではそれらに言及していく。

国立大学法人化と大学の「効率化」の問題

2003年に制定された国立大学法人法に基づき、それまでは国の内部組織であった国立大学は大学ごとに法人化され、2004年より「国立大学法人」として運営されることとなった。類似した制度として挙げられるのは独立行政法人制度である。

独立行政法人制度では、公共上必要な業務について国が財政措置をしながらも、実際の運営は法人に委ねサービス向上と効率化を図るものとしている。国立大学法人制度は、その点については同様ではあるが、大学の性質上、自主性・自律性を持たせたものとなっている。*3例えば法人の長の任命などは各大学の裁量に委ねる点などが異なっているといえる。

自主的・自律的な運営により教育研究水準の向上が期待された。文科省は、少子化などにより大学の運営をスリム化させたいとのねらいがあり、先述の「アンブレラ方式」の導入を進めたいと考えている。

そのような「理想」とは裏腹に、国立大学法人化により日本の大学では研究の質や国際競争力は落ちていると言われている。

国からは大学に対して運営交付金が支給されているが、毎年削減されていく漸減方式を取っている。そのうえ研究者は競争的資金の獲得に時間を掛けなければならず必要な研究が十分にできていないのである。

国は研究や大学に対して評価を「論文の数」といった可視的なものに要求し、それゆえ基礎研究などではなく、短期的で「役に立つ」研究ばかりが重視されるようになってきている。

このような表面的な成果主義のなかでは「数」を求めて研究不正も起こりうる、ということは少し考えればわかることであろう。

こうした「効率化」の流れは民間の手法に則ったものである。

無駄を省き最大の効用を目指すことは経営という観点からは理想的なであるといえる。1980年代以降、世界各地でネオ・リベラリズム的な政策が推進され、日本の国立大学もまた、そうした「行財政改革」の風潮に巻き込まれた。

そして、ここまでで述べたような弊害が生じているのである。

 

大学を「学術研究の場」ではなく「人材供給の場」「イノベーションの場」として価値を置くのは、ほかでもない経済界の要請である。

先述の「役に立つ」研究が志向され、「評価」されるのはそういった研究である。静大工学部と浜医大が志向するのは、そういった経済界の要請に基づいた「役に立つ」研究の効率的な推進であろう。

むろんそうした観点は部分的には必要ではある。

しかし、大学において体得すべき「知」は必ずしもすぐに「使える」とか「役に立つ」ものだけではない。

総合大学であることの意義は、文理問わず多くの学問にアクセスできることであり、そのなかで活発に議論できることである。

確かに「役に立つ」だけに価値を置く限り、総合大学の必要性を感じることはないだろう。しかし、大学というもののあり方を考える上で、効率化の追求こそが唯一絶対の価値観なのか、どの立場であれ改めて問い直すべきである。

 

浜松医科大学設立の経緯

ところで、そもそも浜医大が、「静大医学部」として設立されていれば、または、後に静大に医学部として編入されていれば話はもう少し簡単だったのではないか。

同じ静岡県の国立大学なのであるし、「静岡大学法人」として運営していれば統合や再編の話は必要がなかっただろう。

しかし、その浜医大の設立の経緯こそがこの問題を複雑にしているのだ。その歴史的背景について言及する。

浜松医科大学は本来、静岡大学医学部として設立されることが考えられていた。高度経済成長期の1968年、静岡県の医療水準が低いことが明らかになると、県議会には「医科大学設立促進委員会」が設立され、「静岡大学医学部設立に関する陳情書」を政府に提出した。

その一方、静岡市浜松市は医学部を誘致すべく争奪戦を繰り広げていた。

県議会では激しい争いとなったが、1972年に西部出身の竹山知事により浜松への設置が進められ、医学単科大学として設立されるに至った。*4

静岡県は、かつての駿河遠江、伊豆という三つの国から成り立っている。それぞれ異なる文化や市民性を持っており、同じ県であるという以上にそうした細かな地域ごとのアイデンティティが強い。

この議論は、国立大学法人の効率的な大学運営を志向することだけにとどまらず、歴史的になされてきた静岡県中部・西部の地域的な争いの延長にあるともいえる。

ここまで二つの背景について言及した。

これらからわかることは、国立大学法人制度という制度的な問題と歴史的・地域的な背景の問題、また、日本の国立大学が今後経験しうる普遍的な問題と静岡県の特殊な環境に係る問題、と複合的に影響し合いこの再編統合の問題に繋がっているということである。

 

4.おわりに

簡単にではあるが、静大と浜医大の統合再編問題について整理してお伝えした。

70年の歴史を持つ静大ブランドが分岐点に差し掛かっているなか、この状況をどう捉えるかは各々の価値観にもよるだろう。

しかしながら、大学とは何か、大学とはどうあるべきか、そして学ぶこととは何か、を考え議論していくことは誰にとっても必要なことであると思う。

考えることや対話することを通じて、一人ひとりの大学での学びが豊かになると考えるからだ。

未来はどうなるかわからない。未来を良い方向に変えることはそう簡単なことではないだろう。しかし、一人ひとりが考え、対話をすることで未来は自ずと良い方向へと変わっていくだろう。

*1:静岡新聞 2019年3月30日 朝刊30面「期待感は「西高東低」静大・浜松医大統合合意 新名称など決まらず」

*2:2019年7月「学長ブログ」が更新され、ようやくこの問題について学長が直接言及した。その後も複数回更新している

*3:文部科学省ホームページ「独立行政法人制度と、国立大学法人制度とはどこがどのように違うのですか」http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/houjin/03052702/010.htm(2019年5月15日アクセス

*4:浜松市史 五 p513~516

https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/2213005100/2213005100100050/ht003410

被害者面に騙されるな

少し前だが、ツイッター上でとあるタレントがとある議員に関するデマを発信し炎上した。

このタレント(以下、彼女)がこの手の話題で炎上するのが日常茶飯事とはいえ、今回はあまりにも酷く、また、幸いなことに世間的にデマ拡散への風当たりも強くなっていることもあり、「謝罪」をする事態へと至った。

 

さて、ここで「謝罪」としたのには訳がある。

その後の態度が、彼女が謝罪すべき「加害者」としての自覚に欠いたものであったのだ。

というのも、その「謝罪」の後にもなお続く炎上の後に「何度も謝罪したのに」という旨のツイートをし(後に削除)、あたかも自らが「炎上の被害者」であるかのような態度を見せたのだ。

彼女はデマの発信者であり特定の議員の名誉を傷つけた、ほかでもない"加害者"である。

 

ではなぜ、「自分が悪い」ことを認めず、誠意をもった謝罪をしないのか。

 

そう、この「被害者面」こそがインターネット右翼たちによる「ネトウヨしぐさ」であり彼らの「やり方のすべて」だからである。

 

どういうことか。

例えば、太平洋戦争中に日本は朝鮮半島や中国などの人々を労働者や兵士、そして慰安婦などとして利用したことは知られている。

戦後に彼らは「在日コリアン」などとして日本で暮らすこととなったが、一部の日本人は彼らを未だに差別し続けている。

「在日の"せいで"仕事が奪われた」とかそんなロジックの差別で、「在日特権」などという意味不明な言葉まで現れる始末だ。

 

つまり、被害者を(物理的・心理的に)傷つけたという「自らの加害の事実」に背を向けるだけに留まらず、自らが「被害者」であると主張しはじめるのである。

 

もう少しわかりやすい例を挙げよう。

いじめの話題になると、インターネット学級会には必ず「いじめられる方にも原因がある」などとほざく輩がいる。

加害者側に"そうさせる動機"を与えた(いじめられるようなことをしたのではないか)、ということを理由にあたかも被害者側に責任があるかのような論調には近いものを感じる。

 

こんなことでは、論点がズレて話が複雑になる(ように見える)のは言うまでもない。

 

そしてなんと、この「ネトウヨしぐさ」は、なんと現職の首相が習得しているのだ。

これも記憶に新しいが、憲法改正について安倍首相は国会でこう言った。

「ある自衛官の子供が、『お父さんは憲法違反なの?』と言ったそうです」

それについて、野党からは

「そのソースは何か」という旨の質問があった。

これに対し首相は、

「私が言っていることが嘘だと言うのか」

と言い放った。

もちろん、安倍政権は嘘とゴマカシで構成されているので、この発言は最高の皮肉だし死ぬほど面白いのだが、今回の論点はそこではない。

現政権が"仮に"誠実に運営されていたとしても、情報元を問われただけで「嘘つき」扱いされたと勘違いするのは被害妄想がすぎる。

ソースが不確かな情報を発信しておいて、いざそこを突かれたら「私は攻撃されている」と、被害者として自らをポジショニングするのだ。

今回の彼の言動は、前に挙げた2つの例と異なり具体的な「被害者」を生んではいない。

だが、自らを「被害者」扱いし、論点をずらす姿勢は「ネトウヨしぐさ」そのものだと思う。

 

首相の幼児性みたいなことが時々指摘されるが、彼の言動は単なる「ネトウヨしぐさ」なのではないかと思われる。

もっとも、ネトウヨそのものが幼児性を孕んでいると言われればその通りなのだが。

 

しかしまぁ、この程度の手法が、インターネット上だけならまだしも国会でまかり通ってしまうようではこの国の未来は真っ暗だなとどうしても感じてしまう。

 

ネトウヨしぐさの通用しない国であってほしかった。

"普通フォビア"の危険

1.はじめに

中学生の少年がヒッチハイクアメリカを横断しようとしたことがツイッターで話題になっている。

もちろん危険が伴うものだし、どうやらそれゆえに帰国することになったそうだが。

 

彼は「たくさんの人に勇気や夢を与える」ためにこの旅行を企画したという旨のツイートをしている。

誰に影響されたのかはわからないが、もし彼を"操作"してこの旅を実行に移させた悪い大人がいたのなら直ちに縁を切るべきであって、それで終わることだと思う。

 

だが、彼自身が本当にそう思ったうえでこれを実行していたとしたら、もっと問題である。

 

旅をしたいという気持ちはわかるし、ほかでもない僕自身がリュック一つで国内外のあちこちをうろつくのが大好きなので、そこを批判するつもりはない。

 

だが、純粋な"旅に出たい"という気持ちではない何かが"旅立ち"のきっかけになるのなら、少し立ち止まるべきだと思う。

 

今回は、中学生のアメリカ横断ヒッチハイクの話題から"普通フォビア"について考えたい。

 

2. "普通"を厭う人々

中学生の少年を危険な旅へと駆り立てたものは「勇気や夢を与える」という彼なりの使命感であった。

「勇気や夢」を与えるならば、日本でボランティア活動でもしたほうがよほど活躍できるし、言い方は悪いが、生産的である。

 

なぜ旅、それも「アメリカ」で「裸足」で「ヒッチハイク」だったのか。

 

そこには「"普通"でありたくない」という意識があったのではないか。

これをここでは、"普通フォビア(恐怖症)"とでも呼びたい。

 

"普通フォビア"では、"普通"でいることは自らの価値を否定するように感じるのだ。

 

何か面白いこと、他の人がやっていないことをしたいという気持ち、すなわち承認欲求だとか自己顕示欲だとか、そういうものだろうと思う。

何か自分にしかできない、面白いことをしないと埋もれてしまう、と。

 

最近、世界一周とかをするアカウントをたくさん見受けるようになっているが、皆インスタ映えとか、とにかくSNSで目立つことがその行動の原動力となっていると感じる。

このことからも、"普通"で世の中に埋もれたくない、と感じる人の原動力は承認欲求とか自己顕示欲とか、もっというと「マウンティング」でしかないのではないかと個人的には思っている。

 

「すごいね」が燃料であり、それを食って生きているのだ。

 

3."普通フォビア"の問題点

もちろん、どんな動機であれチャレンジをしようという姿勢は素晴らしいと思う。

今いる居場所や自らのポジションを捨てて飛び出していくことは勇気のいることだ。

それが彼や彼女の人生の糧となることもあるだろうし、その姿を見て結果的に"勇気づけられる"人もいるかもしれない。

 

そもそも、僕自身は出る杭を打ちたいからこんなことを言っているのではないし、「人間は皆"普通"であれ」「現状に満足せよ」と説く気はさらさらない。

 

だが、"普通"からの脱出には危険が伴うことも承知しておいてほしい。

 

ツイッターで一時期、は○ちゅう氏やイケ○ヤ氏のような人々が「脱社畜サロン」のようなことをしていて例のごとく燃えていたのを観測した。

また、大学生はわけのわからない投資詐欺に引っ掛かり「まだバイトなんかしてるの?」などとこれまたわけのわからないツイートをしてネズミ講のように仲間を増やしている。

 

彼らは、多くの"普通"の人に対して「"普通"から脱出せよ」と説く。

あたかも普通であることが"悪"であるかのように。

 

"自分でなきゃできない事をせよ"

"現状で満足するな"

"普通じゃないことをしよう"

と説くのは何も彼らだけではない。

よく、AIの時代が来るから今の人間の職は奪われると言われている。

それはもちろん否定できないところはある。

しかしそれで、AIに職を奪われた彼や彼女の"存在価値"が落ちるかというと決してそうではない。

人間の価値は不変であり、どんな人間であっても存在していることは許されている。

"普通"でも生きていて良いはずである。

 

もちろん、彼や彼女にしかできない高度な技術や能力があればそれで良いだろう。

"普通じゃない"ことを否定はしない。

しかし同時に、特別な技術が無いからといって、彼らの生き方が否定されて良いわけではない。

例えば、(挙げたらきりがないが)近所のスーパーの店員や工事現場の作業員、バスの運転手などなど、有名人ではないいわゆる名も無き"普通"の人たちが社会を動かしていて、当たり前だが彼らの存在は必要不可欠だからである。

 

ヒッチハイク少年が「こんな面白いことをする"特別な自分"の姿を見てもらいたい」がためにそれをやろうとしていたのなら、そんな「特別じゃなきゃダメ」という危険な価値観の餌食だったのだなと感じた。

 

悪い大人たちは、それを含めた多くの「今の自分は特別じゃない。だから変わって自分の価値を上げなきゃ」という意識に漬け込んで、他人の人生を食っているのである。

 

これが、やれ世界一周だの起業だの投資だのカンボジアだのでもって、実際は平凡で特別な能力もない若者たちを「特別」たらしめる(と本人たちは思ってる)行動へとつながる。

いかに他者より優れるか、良く見られるか、だけが行動の全てなのだ。

 

もっとも、結局みんな揃って似たようなことをしているので「"普通じゃない"」「他人と違うことがしたい」が、上に挙げた投資だの起業だのといった"一種の型"に収まっているという事実は皮肉なことだが。

 

少なくとも、意識高い"系"の人々と"キラキラ系インスタグラマー"みたいな人々の行動はこんなことが根底にありそうだなと思った。

 

4.誰にでもある

ここまで"普通フォビア"の例として挙げたのは、キラキラ系バックパッカーとかそういう陽キャラ的な人々だった。

 

だが、これは別に陽キャラに限った話でもない。

 

ツイッターにいるオタクたちも同様だ。

おかしなことをして、人から「あいつは面白いな」「またなんかやってる」と言われたい、という承認欲求を満たすために変なことをしたり犯罪に至るケースも見受けられる。

また、いわゆるポリコレに反する、差別ともとれる過激な発言をして、あたかも正論であるかのように振る舞う人間も少なくない。

これらも、"普通"から脱したいという意識の表れとも言えると思った。

 

結局のところキラキラしてるかとか金が掛かってるか、くらいなもので実際は前述した人々とあまり変わらないものだと感じる。

 

他人を楽しませたり自分を目立たせることが"目的"で、(例えば旅とかの)"行動"がその手段になるようなことは、全てを否定するつもりはないが苦しくなるのでは、と思う。

芸能人や、最近ではユーチューバーがその役割を果たしてくれているので、多くの"普通"の人は普通に楽しめば良いではないか。

 

個人的に、これは自分にも十分当てはまることなので自戒の念を込めてこんなことを言っている。

 

5."普通じゃない"のやり方

結局のところ、今回のこれも仮に成功していたとしても旅行という"普通の行為"に"人を勇気づける"だとかそういう意味付けをしたにすぎず、何にもならないのがオチだっただろう。

他人のために何かして助けたいと思うならボランティアをしなさい。

 

一度きりの人生だが、一度きりだからこそ死なない努力はすべきだ。

マリオと違ってゲームオーバーしても再挑戦することはできない。

よく調べたり、リスクを承知したうえで挑戦することが「すごい」のであって、単なる無謀な挑戦はすごくもなんともない。

 

一方、「諦めること」も勇気のいることだ。今回の少年は頑なにならずに帰国したそうだが、その勇気は褒めるべきではないかと思う。

 

"普通じゃない"は"普通"が出来たうえで成り立つものだといえる。

大学を中退して旅に出るとか、よほど覚悟があるなら勝手だが、僕は"大学を出る"という"普通"がこなせたうえでの"普通"っていうのが本当に「すごい」んだと考えている。

 

新しいことや面白いことをしている人の後ろ指を指すような真似はしたくない。

だが、ほかでもない自称「普通じゃない」系の人間たちが、そんな人たちにとっての迷惑になっていることが問題だと思う。

そして最大の問題は、本人たちに自覚がないところだとも思う。

 

いすわれにせよ、旅のリスクと人生のリスク、どちらも考えてこの長い旅を続けていこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

父が死んだ時の話

オチのある話ではないので期待しないでほしい。

あまり自分語りというのはしたくなかったのだけれど、自己紹介も兼ねて改めてこの話をしたいと思った。

 

私は中学1年のときに父親を亡くした。

2011年2月15日

 

我々一家は北海道のとある街に住んでいた。

父親はキリスト教会で牧師をしていた。その時点でかなり特殊な感じはするのだが、母と弟と犬と、そして里子一人と生活していた。

 

私が通っていたのは市内でも評判の悪い中学。

でも、それだからといって私自身に何か不利益が降りかかってきたわけでもなく、友達と一緒にノンビリと過ごしていた。

中学生になったということで、一人で旅行させてもらったりとか小学生時代よりも自由にはなった。

そしてこのまま、この街で高校受験、大学受験をしていくんだろうなと思っていた。

 

そんな当たり前の日常は突然崩壊した。

 

2月15日の夕方。

担任の先生が急いで教室に入ってきた。

「弟君を迎えに小学校まで行ってくれないか」

そう告げられると、わけもわからぬまま追い出されるように帰りのホームルームを抜け出した。

 

とても寒い日だったことはよく覚えている。

 

小学校で数分待ったあと、これまた状況が飲み込めていない弟とともに家へと向かって歩いた。

どんな言葉を交わしたかは覚えていない。

が、私も弟も「ただ事ではない、何かが起こった」という感覚だけは共有していた。

夕陽に照らされる街並みを眺めながら、「きっと降りかかってくる悪い出来事」について思いめぐらせていたのだった。

 

家に入ると、お世話になっている近所の方や教会の方がいた。

父や母の姿はない。

我々兄弟はここで待っていろ、とのことだった。

 

それからの時間は、まるで永遠のような、無限の地獄のような時間だった。

とてつもなく長い時間が過ぎていたような気がする。

何かが起こっていることは認知しているがその詳細がわからない、という状況はこの上ない苦痛なのである。

体感時間ではあるが、一時間半か二時間ぐらいだったと思う。

 

日が傾いてしばらくしてのことだった。

母、そして知り合い夫婦が家へと入ってくる。

 

知り合い夫婦は兄弟と母を向かい合わせにして座らせた。

 

そして母は涙を抑えながら言った。

「父さんが、天国に行きました」

 

そのときの感情はよく覚えていない。

理解していたような気もするし、していなかったと思う。

しかし少なくとも、すぐに泣くとか、そういう気持ちにはならなかった。

あまりにも突然すぎたからである。

 

夜、暖房のついていない教会に父親は眠っていた。

確かに今朝まで目玉焼きを焼いていた父が、箱の中で眠っていた。

眠ってはいるのだが、もう二度と目を開けないのだ。

 

だが、どういうわけかここでも泣けなかったのである。

 

私が最初に泣いたのは、何もかもが終わってからだった気がする。

もう父に会えないこと、何も言えないことが、葬式など一連の儀式が終わってからだんだんわかってきた。

 

最後の言葉なんて何もない。学校へ行く前の挨拶が別れの言葉だった。

ただ、この日だけは普段は「行ってきます」というところを「じゃあね」と言ったことが、いつまでも引っかかっている。

 

それだけではない。

ある日、車で父に「お前は父さんのことが好きかい?」と突然聞かれたことを思い出した。

なんだか照れ臭かったので、はぐらかしてしまった。

もちろん、父親のことは尊敬しているし好きだった。

だが、それを言えなかった。当たり前のことなのに、なんでだろう。

そのことが、今になっても悔やんでいることの一つだ。

 

いろんな「ああ言えばよかった」「こうしておけばよかった」が、落ち着いたころに、忘れたころに一気に押し寄せてきた。

 

我々一家は、父の赴任先でしかなかった北海道を去り母の実家のある東京への引っ越しを、それから二週間の間で決めたのであった。

 

そしてその支度の最中のことであった。

父の死から約1か月後の3月11日。

多くの人の命を奪い、人生を狂わせたあの恐るべき災害が東北地方を襲ったのである。

 

我々は一人の家族の死で、住む場所や生活、そしてその後の人生も変わることになった。

何かが起こった当日には、その後の運命のことなど考える余裕などない。

しかし、徐々に「その後の生活をどうするか」を考えなければならなくなる。

「ある日」を境に生活が変わってしまった大勢の人々の姿を見ると、決して他人事とは思えなかった。

 

そして我々は東京へ引っ越した。

半年前には考えられなかった生活が待っていたのだった。

 

だが、父の死から8年が経ち、その間に出会った人々はかけがえのない存在だし、その間の経験は何にも代えがたいものになっている。

「父の犠牲があったから」みたいな言い方はしたくない。

だが、「狂った運命」から始まる未来も、私自身は案外悪くはないと感じている。

もちろんこれは、全ての人に当てはまるものではないし、震災などの災害の結果として今なお苦しむ人はいる。

それでも、突然現れた「分岐点」を曲がった先にあったのが今の自分だと考えると、いつまでも過去を嘆いていたり「父が生きていたらよかった」とも言い切れないとも感じる。

その後の人生は、ことに進学関係についてはほとんど予想通りのルートを歩んでいないがしかし、その予想外のルートで出会う人や出来事だっていずれは宝物になる。

父の死という経験から得た最大の学びはこのことだと考えている。

 

それでも、後悔はしている。

やはり「ありがとう」とか「好き」という気持ちは、言えるうちに言っておくべきということだ。

どう頑張っても今はもう、伝えることができないのだ。